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2018-12

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カラスのクロ君にシンクロニシティの極意を教えられる

シダレザクラは開花しています。お気に入りの船着き場のソメイヨシノも開花しました。 
クロ君が子供を連れてきました。雄か雌かは分かりませんが、チビクロ君と呼びます。
クロ君は、チビに気遣いながら、自分の食べるものをチビに分け与えて父親の愛情を見せていました。
カラスとおともたちも三代にわたることになります。
クロ君に常々子供を連れてこいよと言っていましたが、彼は本当に約束を守りました。
私はカラス・カモの鳥たち、コイほか動物達とお話か出来るわけではないとことわっていました。また魂レベルで対応すべきなどエラそうなことを言っていました。
しかし、今回のことて、人類はテレパシー能力を失ったと自信をなくしていますが、動物達、石人間など全ての生命体は、真心で接すれば、思いは伝わっていると知らされました。
人類は、テレパシーという同時的共感、言い換えればシンクロニシティ共時性について、アクティブ能動的に自信を持つこと。
カラスのクロ君にアニミズムの真実を教えられました。
毎日の生活に言い訳や嘘はありますが、心根の底に真心・誠実な謙虚さを持っていれば十分であると思います。
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カラスが示唆する宇宙の真実

一年以上、ご無沙汰しての更新です。

私は、十数年前から小石川後楽園のカラスとお友達です。
最初は、いつものようにコイ・カメ・スッポン・カモ・ハト・スズメに食パンをあげていたら、カラスの老夫婦、おやじは頭に白髪交じりが隣に来たことから始まりました。
その後数年ですか、若いやんちゃなカラスが馴れ馴れしく寄ってくるので、クロ君と名づけかわいがっています。
数ヵ月前、4次元:時間について考えているとき、クロ君が寄ってきて好物の唐揚がなくなり、まだおなかがすいているのか、いつも食べない食パンをあげると異様に食べるというより飲込むのです。
クロ君のかみさんは、半年ほど連れてこなかったので、子供ヒナのために異様にため込んでいるのではないかと感じたのです。
この日の前、14年09月30日19時-BS朝日-BBC地球伝説「人間を超えた!?」を見ておりまして、英国の学者が4年前に怖いマスクをかぶりカラスをいじめ脅し、その4年後その場所に同じマスクを付けて現れるとカラスの群れ全体が警戒の鳴声で緊張するといった実験です。
カラスがチンパンジーと同等以上の知能があることは知っていましたが、4年前と同じカラスがいたのかより、群れ全体にその経験が伝達されていたのは、新鮮な驚きでした。

二三ヵ月前、クロ君がかみさんをつれてきました、エコちゃんと名づけることにしました。
カラスのクロ君から学ぶことは、私が人間目線で勝手に友達と勘違いして、ペットのようにかわいがっていたのではないかと、お話が出来るわけではないですが教えられました。
動植物や昆虫等生命体の会話は、音・光・色もあるが「カヲリ:匂い」も同列にあると気づいたわけです。

■4次元:時間について、真空の宇宙にカヲリ:匂いが充満している■
それを現代科学は、ダークマターとかダークエネルギーといって解明しようと努めていますが、始まりと終りの後先にこだわる3次元的時間概念では把握できないでしよう。
なぜなら、宇宙に充満するカヲリ:匂いは、宇宙の意思、生命の希望そのものであり、光速を超えた後先が溶け込んだ4次元的時間概念以上の高次の次元に至らないといけないことを私に直観させてくれたと考えています。
この公園での散策は、このような思索を育む大都会のなかでの小さいけれど大宇宙に直接つながるパラダイムフィールドであると感じています。
ややこしい話かもしれませんが、カラスのクロ君とのついあいは、身近なできごとにとても深い真理が隠されており、それに気付くと元気・勇気という未来の希望がわき上がります。

4次元:時間については、ここまで書いたのですが、どうも虫の知らせと言いますか一晩寝てからアップすることにしました。
一年前の記事でも引用しています『InDeep』さんに訪問してみると興味深い記事がありました。
『宇宙の創造…ひも理論…432Hz…528Hz…ライアー…:数々のシンクロの中で、この世の存在は「音そのもの」であるかもしれないことに確信を持てそうな』2015年03月22日
http://oka-jp.seesaa.net/article/416066198.html
音・周波数・言葉について、たいへんわかりやすいです。
カタカムナも紹介されています。しかし前記事で言及しているように、ヒミコさんはカタカムナがとても難しいのでカタカナを創ったとのお知らせは意味のあることと思います。
音・周波数・言葉についても、引用記事のように科学では認められていません。
膨大な時間を超えてヒミコさんは、判りつつカタカナというヤマタイコク言葉を残してくれたのでしょう。
カタカムナもカタカナも575のような音韻が基準です。
そのようなリズムは、ルドルフ・シュタイナーがいうこの世に受肉した物体生命の健康な有機体維持に欠かせない治癒方法です。
クロップ・サークルや雪の結晶で日常的に知らされているのに、なぜ人類は無視を続けるのでしょうか。
カラスのクロ君が示唆してくれたことですが、上記のブロクで『この世の存在は「音そのもの」』とは、その基本的かつ一部に過ぎないと私は考えています。
人間も含めたこの世に受肉した全物体生命は、科学が大好きな3次元的時間概念、炭素系生命体しかあり得ないとの先入観は捨て去らなくてはいけません。
確かに、この世知辛い世の中で全物体生命は、健全な生命維持に欠かせないリズムから逸脱しながらも一生懸命生きながらえているのが不思議なことでもあります。
当ブロクのテーマである共生共死は、肉体を失った死後の世界があり、恐れるものではなく、見えないが身近にあるものとしています。
最近大河ドラマで『こころざし:志』をよく聞きます。
この志とは、受肉している現世では健康なリズムに宿るかもしれませんが、死後の世界でも志により選択すべき道があると言えます。
要点は、真空の宇宙には、志・意思・思いという物体になる以前の存在エネルギーが満ちあふれていると言うことです。
3次元的時間概念で表現すると、カヲリ:匂いとなります。
カタカムナ・カタカナの575のような音韻は、香るような志・意思・思いを和歌のように現しています。
カヲリ:匂いは、非空間・非時間性に位置づけられ、言い換えれば同時性シンクロニシティ、平等性になります。
カヲリ:匂いについてとんでも理論を述べております。しかし、ミクロコスモス小宇宙の代表例であります人間の肉体は、T細胞・免疫体のようにカヲリ:匂いを媒介として瞬時に対象に接近します。
犬やハトの嗅覚は、近い将来研究が進み、同様な性能のセンサーデバイスも安価に供給されるでしょう。
但し、嗅覚センサーの開発目的は、志・意思・思いとの整合性にあり、言葉・文字のような膨大な暗号解読が必要となります。
でも、その答えを既に私たちは知っているはずです。
それは、他者を思いやる愛・やさしさ、愉快と不愉快の区別でしかありません。
一晩寝てから、追加が長くなりました。

西洋では、クロウ・カラスの映像検索はほとんど悪魔の化身ばかりです。
我国でも八咫烏・ヤタガラス神話は、宇宙の邪悪な存在による意図的なすげ替え伝説によって、ねじ曲げられた子分のような存在と私は思っていますが、クロ君のような純朴なカラスも大都会のなかで懸命に生きています。
縄文の心根を持った人以外、カラスとお友達になることはあまりお勧めできません。

都心の公園で、十数年野生動物に月に3回ほど訪れ食パンをあげており、唐揚はカラスだけです。
野生動物への餌付けは、東京都並びに環境省が控えるよう、罰則無しの啓蒙を広報していることはよく承知しております。
従って、この記事は餌付けをお勧めする意図ではありません。
私は、野生動物との付合い方に、ある信念を持っております。
野生動物植物を愛する方々は、写真ウォチングを趣味にされている方が多いと存じております。
そのような方々に何の異議も在りません。
私の信念とは、野生動物は家畜ではない彼らの自由意思において自然の摂理に生きている。
言換えれば、餌付け行為は彼らの自由意思を尊重すべきであること。
彼らの生存行為の範囲内に留める良識がいる。
このブロクのテーマは、共生共死ですが、その対象は野生動物も含みます。
花鳥風月森羅万象に魂が宿るアニミズム、全ての生命体、無機物・珪素系生命体(石人間)を含むものを人間と同等に人格・意思を尊重することは、一年前のブロクにて言及したとおりです。

あえて自然愛好家や保護団体の「餌付け」の定義に疑問があり、西洋価値観などの人間至上主義があるのではないかと思っています。
大都会の野生動物、特にカラスのような嫌われ者を愛している変人かもしれませんが、カルガモのような人気者と分けへ隔てなく、希少種のみを追求しウォチングと言うよりか視覚的ハンティングを志向するのでなく、魂レベルでの共存が求められているのではないでしょうか。
餌付けとは、私にとって大企業のサラリー給与受領者がイメージに浮かびます。
極論ですが、無自覚に餌付けされれば奴隷化家畜化することを意味しているし、そもそもそれが飼い慣らし目的の行為を指し示している。
だいぶ飛躍したお話かもしれませんが、野生動物の保護行政は、人間を含めた他人事でないはずです。
世界に国立公園の理念を確立させたジョン・ミューワ(1838 -1914年)さんのシエラネバダへの愛情の原点に立戻りたいものです。

この記事を書く気になったのは、昨日の出来事です。
クロ君とタエちゃんとあっていたときなのですが、入園者が多いときカラスは、緊張警戒します。
どうも私の見立てでは、カラスは一瞬にして人間の性格を見抜き判別しているのではないか。
『カラスは、人にはなつかないさ』と聞こえました。視覚障害で左目だけ霧のなか詳細は判別できないため誰が話したのか判りません。
カラスは、野生の動物であることは確かでしょう。
常識通念の先入観で身の回りを判断することは当然ですが、異常気象の昨今、自然への先入観は少しだけ謙虚・素直に受け止めた方が良いと考えています。
なにも地震・噴火の災害だけでなく、身の回りの見過ごしている小さな自然、カラス・雑草など一杯あります。

そうそう、付け加えておきます。
小石川後楽園は、池の水質汚濁防止のために、コイなどの餌やりに注意を喚起しています。
売店で餌として、麩(ふ)を販売しています。弁当の食べ残しを餌などとして与えると脂質分が多く水質浄化を低下させるためです。
私は、市販の食パン(最安値のスーパーで一斤75円)を常用しております。
さて、油脂成分含有量です。
麩(ふ)3.4g 食パン4.4g とほぼ同等です。
カラスは、食パンのみでは食べません。
カラス用は、私の好物と同じ自作の唐揚げです。
私の弁当は、最近タエちゃんも一緒に来ると私の食べる分は1/3になってしまいます。
私も含めたクロ君とタエちゃんとの弁当を分け合えることは、とても楽しいひとときです。

それでは、またお会いしましょう、ごきげんよう。

共生共死・宇宙の真球と魂が示すもの

共生共死・宇宙の真球と魂が示すもの

今日は緑(ろく)です。去年の3月以降、1年半ぶりのブロク更新です。
ブロク・タイトルとリードを「地域コミュニティの元気再生へ」から「共生共死・宇宙の始源」に変更しました。
ブロク休止中に、人生観を根源より変革する情報に接したことと、難病により認定障害者になりました。
11年3月11日の数日前に発病したのに、半年も病院に行かなかった、自業自得の結果ですが。
なにからお話しして良いのか、先ずは近況を含め、共生共死を主題とした、宇宙の始源とは何かについて述べることにします。

●1.ブロクの前提について
私の言説は、科学に基づくものではありません。最新科学の引用が多々あるかと思いますが、おおむね科学が究明できない事柄についての考察がほとんどです。
「直感」と「直観」を使い分けています、「直観」がほとんどですが、それでは文章にならないので推理・考察などで補足しています。
「直感」とは、推理・考察などによらず、感覚的に物事を瞬時に感じとること。
「直観」とは、推理を用いず、直接に対象を捉えること。一般には感性的知覚をいうが、直接的に全体および本質をつかむ認識能力、プラトンの「イデアの直観」などです。

●1-1 珪素系生命体情報について
当記事で、珪素系生命体情報と言っているものは、端的に言えば、全宇宙の物質、極大は宇宙の始源、銀河、恒星、惑星、流星から、極小では分子、原子、ニュートリノに至るまでの、無機質、鉱物にも意識、意志のある生命体であるとの宇宙・世界観です。
ただし、従来の神概念での絶対的存在ではなく、支配を否定しています。
この宇宙観では、太陽系地球は、宇宙の始源:大元が創造し、人類は、珪素系生命体である石神が、宇宙の銀河や星々の協力の基に創造したとする。
人間を創造した当初は、平和で平等であったが、それを妬み支配しようとする宇宙の強力な王・女王的存在が関与し、その部下である龍体や蛇体の生命体により、支配と隷属、戦争による人間の魂エネルギーを食料・糧とし、それをゲーム化した遊びを楽しんだ。
それら邪悪なもの達は、支配のために宗教や王政を造ると共に、死への恐怖を植え付けるために地獄を造った。
邪悪なもの達の最も注力したことは、人間を創造し、共生した石神の存在を人間の歴史から一切消し去ることであった。
太陽系地球の歴史時間軸や、人間が猿から進化したなどの化石資料さえ捏造するほど、王・女王的存在は、未来予知や仮想空間の実体化等強力な能力があるそうです。

このような一見して雲をつかむごときおとぎ話は、約百年前での心霊研究の巨大な先達が新たな知見、新世界観を示した際、多くの人々が反応した、未知への恐怖の反動として、気違い扱いしたことと同じ様です。
今では、王・女王的存在の影響化を免れ得なかったことが、世界のシャーマン達に知られつつあります。
前20世紀末を境に、神秘学と最先端科学が相まって、未知の領域が顕在化しつつあります。

古代のアレキサンドリア学派、15世紀前後のルネッサンスに匹敵し、更に上回る文明の大転換を予感させます。
この珪素系生命体情報は、各人が主体的に接近するものと理解しておりますから、筆者としては、積極的な紹介、誘導が目的ではありません。

文中でも言及しておりますが、当情報は、宗教を原則否定しており、特定の教祖などを崇めることが支配と隷属を生じるとしています。
従って、当記事の言説は、一切の思念誘導を図る意図はありませんので、当情報に限った義:何が正しい道なのかを論ずることはいたしませんので悪しからず。

参照サイト
【地球の謎解き】
参照サイトの「このサイトについて」に概要があります。

●1-2 宇宙の3次元物質で高度化する順位について
参照サイトでの用語は、注意深く特別な呼称を用いています。当ブロクでは、そのままの呼称を使用せず、私独自の呼称としいおりますので、文責は私にあります。

珪素系生命体情報という用語に関して説明します。
私が勉強していた結晶学は、既に相当前になりますから、最近の 知見は除きます。
しかし、基本的なことです。

分子とは、2つ以上の原子から構成される電荷的に中性な物質です。
三次元で安定した固体分子は、結晶化しますと一定の構造形態となります。
高分子量より低分子量のものが明解な構造となります。
人類が知っている生命体は、全て炭素分子からなっています。
今はあまり見かけませんがテトラパック牛乳 とか、紅茶パックの形です。
正四面体の面と面を単純一定に接合していきますと螺旋型になります。
炭素の四面体だけで形作れるものは、DNAの様な螺旋形、カーボン・チューブやボールが 知られています。
生命体か鉱物かと言われるウイルスも炭素から成っています。
このように、分子形態から、結合して複雑な形態になる度合いを、 複合度と言います。

宇宙で知られている単一原子から成る分子で、 最も複合度の高いものが、炭素です。
従って私は、宇宙の生命体は、複雑な形態の可能性が最も高い炭素系が、 生存競争というか、確率論的に生命となったと考えていました。
宇宙人すべてが炭素系であろうと学生時代思っていたのです。
しかし、当時冗談だったのですが、岩石人間もいるかもしれないと 言っていました。
それは、複合度の高い2番目が、珪素・シリコン系だったためです。
珪素系の基本構造は、6面体マッチ箱がひしゃげ側面が斜め菱形です。

学生時代の冗談が、珪素系生命体情報:ソラ情報に接して、これはあり得ることではないかが取っかかりの初めです。
いま思えば、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語・ネバーエンデング・ストーリー」の岩石人間「ロックバイター」が鮮やかに浮かびます。童話:メルヘンは、時々究極の真実を語るときがあるように感じます。

●2.宗教の呪縛から解放されたい願いの一例
今私は、1500年以前の日本、仏教に犯される以前に戻りたいと希望しています。
この決めつけだけでは、分かりづらいでしょうが、当記事全体の通読により、ご理解いただければ幸です。
また、稿を改めて述べていきたいと思っています。

珪素系生命体情報に接して、驚天動地の心境、大変な衝撃を受けました。
放心状態から抜けだし日常生活に戻れたのか、仮面をつけて生き延びているのかは分かりません。
本音は、激しい怒り、あってはならない現実に対する悲しみと希望の魂との間で、一瞬一瞬を生きながらえているのです。
この発想が根本的に間違っているのですが、高貴なる責務:ノベリス・オブリュージュと言う犬も食わない根拠のない自信と自尊心が、真実から遠ざけているのです。

●2-1 マンダラの嘘実
古代日本の山川草木に神宿る根源を、仏教がマンダラ、「金剛界曼荼羅」「大悲胎蔵曼荼羅」の二つで全く上手にすげ替えています。
詳細に説明すると、虻蜂取らずになるので、要旨のみにします。
宗教・仏教等を否定する言説をしますが、後述するように99%は真実と私は認めています。しかし、1%によるオセロゲームの最後の一手で黒白がひっくり返ることに着目しているのです。
千年、数千年の歴史の結果で示されいてるように、平和で平等な世界は今だ実現していません。

金剛界とは、金剛石はダイヤモンドに代表される非常に堅い宝玉で、ダイヤは炭素の結晶です。
このマンダラは、生命体は炭素系だけ、炭素系生命体の太陽系地球の人類が、一つの砂粒・ダイヤでも全宇宙を内在し代表し、太陽と同等の霊力パワーが在るとしています。
これは、真実であると私は考えていますが、珪素系生命体である、ニュートリノ・原子・分子・鉱物・惑星・恒星・銀河・全宇宙が意識ある生命体であることを人類史から封印した。
目玉おやじ、一反木綿、カマイタチなどから、地震大地神、雷神、火神、風神、水神、その他八百万の神々というか、彼らの意志、意識を無視することを強要した。

もう一方の大悲胎蔵マンダラは、これはルドルフ・シュタイナーの言う太陽系の霊的発展過程、水星期や木星期・土星期の位置づけの間違いを超えて、現下の地球期がサタン・悪魔・偽の時代であることは正しい指摘である。なぜなら、この胎蔵マンダラは、地球生命・人類の社会構造・支配のための精密かつ完璧な手法と体制が立体的も含め示されている。
これほと人類の支配の具体的完璧な体制手段を、釈尊と言うより、誰が何の目的で成文化したのだろうか。
胎蔵マンダラは、軍事を司る仏、政治、司法、広報、農業、貧民救済等現代国家の全てが体系的に一枚の絵に集約されている。
これほど人類管理に精通した理論体制にもかかわらず、どこにも人類と地球・宇宙の善きなる活きる目的と在るべき世界観を実現する手法が明示されず、権力者に集中しているのみで、優れた理論も用いる者の勝手となる。

●3.地球期の終焉
珪素系生命体情報は、地球期の終焉を期待させる。
もし、1500年前に、我が日本が地球期の洗礼を受け、たかだか2千人の唐人に占領され、過半が奴隷となった歴史が、今また現下直ぐに在ったとしても、我がヤマタイコク言葉を真に受け継ぐ者は、例え僅かな人数でも、その魂、地球と共に活きていくでしょう。

空海、出口王仁三郎、浅野和三郎の諸先輩を、私は全面否定しません。
なぜなら、彼らが根本本質的に宇宙史に間違った人生を過ごした結果責任は、先に述べました地球期の人類のお知らせ役*と思うからです。
この言説は、一重に私の自己否定する知識経験から発するもので、歴史は、嘘は嘘、嘘で人格形成された己を顧みる衝撃を、誰とでも話し合いたいものです。

注:お知らせ役 
珪素系生命体情報の原典「地球の謎解き」:ソラ情報の特別な用語を使ってしまいました。ソラ情報での意味づけを私が拡大解釈したもので、歴史的影響力の巨大な方に使用すべき表現ではないでしょうが、私なりの評価です。
参照サイト
 ソラ辞典 お知らせ役

●4.魂とは
お話は、変わりますが
珪素系生命体情報では、人間は「3位1体(1 肉体、2 魂、3 潜在意識)」で成り立つと知らされています。
私は、この間「魂」とは何かを考えてきました。
新情報に接して、まだ半年にもならないのですが、去年の311以降、さらに今年の気象観測以来の異常現象など、珪素系生命体・地球などが人間に何を伝えようとしているのかを考えてしまうのです。
少年以来、雲・雨・日差し・木漏れ日・山川草木・花鳥風月などと、お話ができるわけではないですが、ぼんやり一緒にいることが大好きです。
10年来、近所の小石川後楽園にたびたび行きます。

●4-1 小石川後楽園
この間、そこで魂とは何かと、ボッーと考えているのです。
大池:大泉水のほとり、船着き場がお気に入りです。
厚切り食パン3枚持参で、鯉・鴨・鳩・雀・亀・スッポンがいつも寄ってくる常連友達で顔を覚えています。
5年ほど前までは、カラス:烏2匹も友達だったのですが、東京では烏に餌をやらないし、人に近づいたら追い払うようで、どこにいったやら、遠くから見ているのかも。

お気に入りの船着き場正面に、中島:蓬莱島があり、亀の形をしています。
小石川後楽園は、江戸時代初期に水戸徳川家の祖である頼房が、江戸の中屋敷、後に上屋敷の庭として造ったもので、二代藩主の光圀の代に完成した池を中心にした回遊式築山泉水庭園です。光圀は作庭に際し、明の儒学者である朱舜水の意見をとり入れ、中国の教え「(士はまさに)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から「後楽園」と名づけられました。
亀の形をした中島:蓬莱島の頭は南東向き、尻尾は北西です。島中央に小さな社があります。この社の由来を管理者に尋ねても知らないそうです。

私は、徳川家康とは、騎馬民族系日本原住民である四つ・エタ部落出身の世良田二郎三郎が成り代わったとの八切史観を信じています。
従って、彦根藩牛ステーキが大好物だった、光圀もエタの血筋・記憶が新鮮なときの作庭であったのではなかろうか、明らかに反仏であるための儒教のように思われます。
しかし、徳川3代目以降、仏派と皇統派との融和策に転じていきます。
四つ・八つ・エタ部落出身たち日本原住民は、石神と共にあったのですが、奴隷から権力を握ると同胞達を見捨てて、龍体を崇める側につくようです。

なぞの小さな社に、礼をもって拝するのは、どうも私一人だけのようです。
小さな社の正面軸線上には、私の見立てからは石神由来の要石が適所に並んでいます。
初期の庭師、徳大寺左兵衛だそうですが、大池の護岸石組が平成の大改修として完了したばかりです。
現代の石工さん達が汗を流してがんばっていました。
亀島を囲む大池の石組み湖岸は、現代のストーンサークルになるように石神さんに応援をお願いしています。
大都会にあって貴重な自然のオアシスですが、ひとつ残念なことは、直ぐ隣が東京ドームで、どうもおそらく宗教団体の集会なのでしょうか、大音響での賛歌が、たびたび聞きたくもないのに流れてくるのです。
人がせっかく自然と静かに接しているのに、直ぐ隣では龍体に囚われた群衆が地獄からの叫びの様な歌を唄っているのです。
なんと因果な場所と思いつつ、囚われの人々を龍体から解放されることを願うのみです

●5.宇宙の真球・臭い、魂・タマ
私は、学生時代から建築をギリシャ哲学や古代エジプト学:始原イルミナティの西洋的系統と伊勢神宮・出雲大社・秋田鹿角大湯ストーンサークル・広島比婆山ヒラミツト・丸石神等の日本の系統について、並列的に追求してきました。そしていつか大統合出来るのではないかと夢見てきたのです。
珪素系生命体情報は、その見果てぬ夢を叶えてくれる取っかかりを予感させます。

●5-1 宇宙の真球についての情報
学生時代、人間が居住すべき究極の建築形態は何か、それは子宮・コクーン繭であるし、衣類であろう。衣類ならば、一本の糸からなる編み物ニットか、縦糸と横糸からなる織物テキスタイルであろう。
小学生のころからミシンと編み物がなぜか好きで母、姉に教えてもらっていました。
一次元のニット、二次元のテキスタイル、次は三次元の建築です。
大阪万博お祭り広場の大屋根は、宇宙船地球号で知られたバックミンスター・フラーによる単ワックスマン・タイプの立体トラスで出来ています。
このスペーストラスの柱状梁がジャッキの様に伸び縮みすれば、ニット・テキスタイルのように変幻自在の空間が出来るだろうと夢見たわけです。

スペーストラスの研究は、その基本形態の追求に繋がります。
プラトンの立体を勉強していきますと、コペルニクスやケプラー等に繋がり、太陽系惑星が神聖幾何学と言われる、太陽・地球・月・惑星の距離、公転周期、自転周期が確率論的に説明できない、あまりにも正確密接な関係性が在ることが判明しています。
その根源が、プラトンの立体と言うよりか、三次元上の理念的基本形態なのです。
この学生の時は、宇宙で人間は、真球といえるものを発見していませんでした、
現在では、炭素分子球状フラーレン(バックミンスターフラーレン分子:C60は、粒子と波動の二重性が実験的に観測された最大の粒子など)、これが真球であるとの学説は知りませんが、おそらく真球か。
次に引用するIn Deepさんの記事で、電子と太陽が真球であると知りました。

『私たちの太陽が「宇宙の中で最も完全な球体」であったことが判明してショックを受ける科学者たち』120818

▼概要引用
英国テレグラフの「電子がほぼ完全な丸に近いことが突き止められる」という2011年5月26日の記事
英国のインペリアル・カレッジ・ロンドンの研究者たちは、電子の形について、これまででもっとも正確な計測を施した。そして、その結果、電子がほぼ完全な球形であることが判明した。
その亜原子粒子が 0.000000000000000000000000001センチメートル未満の、ほぼ完全な丸であることが確認されたのだ。
これは、言い方を変えれば、電子を「太陽のサイズ」にまで拡大したとしても、その円形の誤差の範囲は髪の毛一本の中に収まる程度の誤差となるほどの完ぺきな円であることを意味する。

私たちの太陽がほぼ「完ぺきな円」だったということがわかり、その正確な数値を計測した科学者たちの間に少なからぬショックが走っている。
太陽は28日周期で回転し、また、堅い表面を持っているわけではないので、正確な測定は難しかったが、今回、ハワイ大学のジェフリー・クーン博士 (Jeffrey Kuhn)は、 NASA の 太陽観測衛星ソーラー・ダイナミクス・オブザーバトリーに搭載されている太陽観測装置であるヘリオセイスミック・アンド・マグネティック・イメージャー( HMI / Helioseismic and Magnetic Imager )を使うことによって、太陽の円に関してのこの驚くべき発見をした。
太陽の直径は、140万キロメートル(1,400,000 km)だが、赤道付近の幅の違いは、たったの10キロメートル(10km)だったのだ。
これは、太陽を直径1メートルのボールと置き換えて考えると、赤道付近の東西と南北の直径の差が、1700万分の1メートルしかないということになる。
これは、私たちの太陽がこれまで計測されたあらゆるものの中で最も丸い物体だということがわかったことになり、そのことに天文学者たちは驚いている。
同時に、太陽の表面は考えられていた状態より驚くほど均一なものであることもわかった。
クーン博士はこのように言う。
「長い間、私たちは自分たちの変動している計測結果を信じていたが、しかし、今回の新しい結果は、それまでの考えとは違う何かを私たちに語っているのかもしれません」。
▲引用終わり

●5-2 宇宙の臭いの情報
この情報も、In Deepさんからです。
「それは焼けたステーキと金属の匂い」と語る NASA の宇宙飛行士たち 120724
▼抜粋引用
なお、お気づきかと思いますが、この「匂い」の話はあまり深く入り込むと、「ほぼ真空であるはずの宇宙空間」という問題にまで発展するので、適度に止めておいたほうが無難な話なのかもしれません。真空に近い空間が広がる(とされている)宇宙に「服に付着するほどの量の匂いの粒子が広がっている」ということには「強い矛盾」が生じる可能性があります。
また、それは「宇宙は真空ではない」という概念にもつながってくことになりかねないですので、そのあたりは今回はふれないで、事実だけをご紹介します。
◆中略

宇宙遊泳から戻ってきた時に宇宙服と機材に強い匂いが染みつくことは、宇宙ステーションで任務についている飛行士たちからよく報告されていた。
そして、宇宙空間を宇宙遊泳した宇宙飛行士たちは、一貫してその「宇宙の独特な匂い」について語る。
宇宙服を着ている間は、宇宙服内のプラスティックの匂いにより外部の匂いを感じることはないが、宇宙ステーションに戻った後に宇宙服を脱ぎ、ヘルメットを取ると、彼らは強烈な匂いを嗅ぐことになる。
その宇宙の匂いは、宇宙服のスーツ、ヘルメット、手袋、そして機材すべてに染みつく。
これらの匂いは、真空の近い宇宙空間の中の原子酸素であると考えられる。原子酸素は粘着性の粒子で、それは、焼いたステーキや、あるいは熱せられた金属や、溶接の際に出る煙のような強烈な香りを持つ。
NASA での宇宙飛行士の訓練のために、地球上で「宇宙の匂いを再現する」という作業をおこなっているスティーブン・ピアース氏によると、宇宙の強烈な匂いのうちの金属的な匂いに関しては、イオンの高エネルギーの振動から出るものかもしれないと述べる。
▲引用終わり

手短に感想を述べます。
この臭いは、宇宙ステーションの高度、300~450kmの宇宙空間だそうです。
大気圏の最上層である熱圏80~kmは、大気の分子は太陽からの電磁波や磁気圏で加速された電子のエネルギーを吸収して一部が電離している。
オーロラが生じる層でもある。
熱圏ならば、イオンの臭いなど考えられる。オーロラの臭いは、さらに月や太陽系惑星の臭いは、どうなのか知りたいものです。
要は、現代科学では真空宇宙で船外活動の際、真空をビンに採取して分光解析しても、臭い分子・原子・ニュートリノが検知できず、科学研究対象になり得ず、お手上げと言うことです。
太陽が真球であることと同様に、現代科学では何も出来ない状況です。

現代科学とは、2百年位前になんとなく確立した科学至上主義であって、言ってみれば虚構の上に積み上げた幻想のしろものでしかないという、側面があります。
それに囚われなければ、人間は五感及び霊感の宇宙最高の感受センサーと言われていますが、その臭いに関して、既に答え・方向性を出しているのではないか。
それは石油・油の臭い、ステーキのような焦げた鉄板での甘いと言った表現です。
私の世代、幼年期まだ自動車が少ないころ、マフラーからの排気ガスの臭いにつられて後追いをした記憶がよみがえります。
石油も石炭も天然ガスも、太古の炭素系生命体、有機物が高温高圧で生成された天然死骸発酵蒸留酒みたいなものと考えれば、そんなに驚きうろたえなくても良いのではないか。

この宇宙の臭いは、人間を筆頭にした炭素系生命体全ての揺りかご:地球において、死後初めに行くとする珪素系生命体情報による、成層圏・熱圏が思いうかぶ。
オーロラが発生する熱圏あたりで炭素系生命体の肉体物質はもはやなく、霊魂は太陽風にあおられて、プラズマを超えて分解し、真空の宇宙へと流れ出る。
そこで初めて珪素系生命体と融合できるのではないか。
臭いとは、次項で考察する、科学が検知出来る分子・原子に根拠するものではなく、潜在意識・魂に根拠する生命の活きる意志そのものである可能性が発想される。

●6.宇宙の真球と臭いが突きつけるもの
それは、虚構の世界観・宇宙観を素直で正直なものとして、宇宙の始源・大元へ返すことではないか。
ここ数年、十数年、数学や宇宙物理学が飛躍的に発展していますが、根源的な矛盾の壁、崖際に立っており、後一歩しかないと思っています。
超先端、天才の科学者ほど、コップの中でのお遊びをやっている場合ではないと、発狂するか社会不適合の仙人にならざるを得ないお話を耳にします。
他人事の評論は、止めて具体的に考えてみましょう。

●6-1 先ず結論から
結論から述べれば、宇宙の生命体は、意識・意志・魂を持っているものであることを認めること。

もう炭素系生命体を火星や土星で見つける試みは、無駄な間違いであることを認めること。

珪素系生命体である石神が・人間を創造したという説が証明されたからと言って、またぞろ新たな神の出現、新宗教にすがり帰依することは、宇宙の始源が望むものではない、全ての生命体が平等である原則に立ち返ることがとても大切なことと、私は感じています。

地球で全生命体を再発見することに全力を注げばよいので、始源の大元に帰るべきなのです。

●6-2 魂とは
珪素系生命体情報では、人間は「3位1体(1 肉体、2 魂、3 潜在意識:イシキ)」で成り立つと知らされています。
私は、霊魂とよく言われますが、心霊研究で西洋東洋も含め、魂がどうもよく分からないのです。
大和魂のような民族を基盤とした、生命運命共同体の根源的よりどころであると言われれば、それもあるでしょうねと否定はしませんが、民族魂は死後世界では、早めに無くなり、民族を超えた平等の魂になると言う説を信じています。
民族魂は、人間中心的な普遍性のない魂と考えているのです。
珪素系生命体情報が伝える「魂」とは、より根源的普遍性のあるものを示唆していると考えてきました。

ここで、太陽と電子が真球であった情報が、私の魂をゆさぶるのです。
この考察は、科学に準じませんので、あえてお断りしておきますし,私の独断です。

さて、魂をヤマタイコク言葉から接近してみますと。
タマ・玉・球が最も直接的な連想です。
タマにラ行活用を試みてみます。正式なラ行変格活用ではありません。
タマ・ラ 堪らない、たまらん、エネルギー・情動が一杯になって、こらえきれない様
タマ・リ 溜まり、エネルギーの流れが一箇所に滞る様
タマ・ル 貯まる、エネルギーが集積される様
タマ・レ 貯まれ、堪れ、エネルギーが集まるように、こらえきることを命ずる様
タマ・ロ これは素直に思いつきませんが、タマロオ~タロウ、もしかするとエネルギーに満ちた男のことか?
このラ行活用から、生命エネルギーの状態を示しているのではないかと思われます。

ところで、ヤマタイコク言葉と言っておりますのは、珪素系生命体情報の原典・ソラ情報のヒミコと若者が考え出した文字「カタカナの意味」によっています。
ホツマツタエ、カタカムナに関して、大和言葉研究が多々ありますが、参照する説が私の知るかぎり、圧倒的な説得力を感じます。
ソラ辞典「カタカナの意味」

タマに関して連想するのは、玉子。
更に、珪素系生命体情報からは、オ タマ ジャクシが良く出てきます。
石上鎮魂法、十種の神宝について、次の解釈例があります。
生玉 (イクタマ)= 生きるのに苦しい時には “ストーンサークルの石” に祈りに行きなさい。
足玉 (タルタマ)= 食べ物が足りた時にもストーンサークルにお礼をしなさい。
魂を考えるに、生命エネルギー・情動、玉子・卵、食べ物と言った一連の命の維持に係わるものであると思われます。

数千年、千数百年前に、邪悪な王・女王的宇宙存在が、龍・蛇人間を使役して、太陽系・地球を支配したと述べましたが、その空想上「龍」の伝説について、龍と玉は描かれたものも含めみなさんもよくご存じと思います。
あの玉とは、人間の魂なのです。マヤの生け贄の生きた心臓、人間の活きるエネルギーそのものが、龍神の存続の糧なのです。
西洋では、玉より指輪で表現されることがおおいようです。

●6-3 星冠8面体
真球の太陽・電子と魂の関連を説明する目的ですが、プラトンの立体、星型2重正4面体(スター ダブル テトラ ヒドロン)または星冠8面体、これは、正8面体を星型化したもので、ケプラーが発見した多面体ですが、詳述すると、ただでさえ分かりにくいのが余計混乱しますので、
概要のみとします。
▼「神聖幾何学すらも超えて」より

星型8面体

●6-4 マーカバ解釈
ケプラーの星型8面体について、マーカバ解釈があります。
マーカバ(Mer-Ka-Ba)と呼ばれる人体の精妙な体(*Merは光、Kaはスピリット、Baは肉体の意。)、二つの正四面体が双貫したかたちであることから、二極性(女性性・男性性、陰陽、天と地など)のバランスを現します。
マーカバ解釈を補足しますと、この上下の正4面体を平面化すると、ダビデの六芒星になります。
六芒巴はーと

    六芒星            巴紋(右巻)            ハート

また、正4面体の立体を動的に捉え平面象徴化すると、巴紋となり、更に巴をメビウスの輪の変換をするとハート型になります。
ハートの立体は心臓そのものでもあります。
魂はハート:心臓に宿ると言われますが、心臓移植によるドナー人格の転移について、現代医学も壁を乗り越えなければならない時にあります。

●6-5 プラトンと真球
現代科学の基礎とも言えるプラトン哲学ですが、古代の真実に立ち向かう自由な気風が感じられます。
プラトンは、宇宙を三次元で純粋な幾何学より発想すると、真球に内接する同一形態の多面体が正4・6・8・12・20面体しかないことを発見するのです。
ここで注目しておくべきことは、幾何学上の真球に内接していることが前提であることです。ギリシャ哲学が真球を究極の神聖形態であることを前提にしていたと想定できます。
西洋人にとって、真球の実在物体は、神の顕現に等しいことと考えて良いでしょう。

それからすると、太陽と電子が真球であることに西洋人科学者がうろたえていることは、良く分かりますが、全宇宙生命体の観点からオタマジャクシの卵の球体と相対的類似性は、本質において何ら変わらないと考えるのは、東洋人、なかでも日本人の正直な受け止め方でしょう。

太陽の大きさ、自転による赤道の遠心力膨張、太陽系に及ぼす未知のエネルギーも含めた影響を既知の科学で説明しようとするのが無理なのです。
しかし、宇宙の臭いでも述べたように、現実に朝になれば朝日として地平線から登ってくるのです。
それを我が人間の共同幻想と言っても何も解決にはならないでしょう。

●6-6 十一面観音の真偽
仏像に十一面観音があります、ア・タマ:頭の上に十一の仏が乗っている仏さんで見たことがあるのではないでしょうか。
本当に仏教というのは、嫌らしいと言いますか、宇宙に11次元があるという究極の真実を我々に示しているのです。
まして、ア・タマ:頭の上に表現しているとは、人間の魂は、十一の仏の支配下なのでしょうか。
イルミナティやメーソンリーは、それを天使階・神階級とし、大将・中将・少将の3段階に分けて33階級にしているのです。

三次元の我々が次元上昇したとしても、三次元の顕在潜在意識・認識は一切通用しないと私は考えていますから、11次元の天使・神・仏などは、たとえあったとしても意味がないと思っています。
我々に意味のない宇宙の真実を知らせて、本当に大切なことから遠ざけているのです。

●7.宇宙の真球の意味
太陽・電子が真球であればあるほど、言い換えれば点でもあり、一次元存在とも言えるのです。
太陽が真球であることと、電子:アトムも真球であることは、宇宙は極大から極小まで相似性がある。
科学で追証明出来ないから、在り得ないと思考、意識、認識を拒絶することは、現下の悲劇的世界を許容することであります。
それらの科学至上主義的文明視点からは、宗教とか神秘主義:オカルトと蔑み排除してきたことが、前述した悪魔・龍体が支配する地球期とシュタイナーが位置付けたと理解出来るのです。
一次元の点は、宇宙の始源・大元そのものを指し示しているとも捉えられるのです。

●8.「シリコン融合化文明」とは
古代、中世以降の歴史の全てが、権力者・支配者に都合の良い捏造であることは、ここ数十年の珪素系生命体の関与と言うか、私の造語「シリコン融合化文明」の帰結と思っています。
パソコンのシリコンチップによるワールド・ワイド・ウエブ:全地球電脳網の、同時・共時性:シンクロニシティによって、何が大切な情報なのか、各個人が判断できる真っ当な状況が明らかになっています。

99%の真実も1%の嘘で成り立つ宗教や王室、その番頭や子分のマスコミや御用学者に支配され、我々は数千年過ごしてきたともいえます。
99%の誠実な労働も1%の支配者への奴隷労働であることに、気付かず数百年が過ぎてしまった。

「シリコン融合化文明」とは、宇宙の生命体は、珪素系のみならず、ヘリウム・水素からプルトニュウムなどの鉱物すべてである前提から発します。
前項の「6-1 先ず結論から」で述べたように、数千年の世界史について、99%の真実と現実を再度把握することです。たった1%の嘘に気付くことは、とんでもない衝撃があります。
脅かすような表現になるかもしれません。そうなれば、数千年の宗教が行ってきた催眠誘導と同じになってしまいます。しかし、あえて表現にこだわらず語ってしまいましょう。

死生観、共生共死をテーマ主題にお話ししておりますが、肉体を失った死後の世界は、在ると直観しております。
ただし、地獄、閻魔大王:ヤマンタカ、鬼女:ダーキニの7人姉妹、悪魔:サタン、堕天使:ルシファー等々は、私たちが1%の嘘によって、私たちの想念が育み、虚像が実体化したものです。
矛盾した言い回しですが、私たち一人独りが、恐怖の影に実体的な力パワーを与えているのです。

●8-1 夢・正直な死の恐怖
1ヵ月ほど前、私の夢のなかで龍体が化け猫となって出てきました。
ここ十年、死は恐れるものではなく、受け入れるものであるとなど、エラそうに説教していた私ですが、夢のなかで思わずお母さん助けてと叫びました。それで化け猫が消えたのですが、まだ夢のなかで、おい、お前なにを血迷って叫んだのかと自問するのです。その後目が覚めました。

今もエラそうなことを言っているのかしれませんが、正直生まれて初めて、いい歳ですが、死ぬかと思う怖さでした。
まあ、直観とバカ正直が売り物の私ですから、恥も外聞もなく語るのです。

311以後のブロクで、私は日本人はバカではない、我慢の限度もあると言いましたが、それから1年以上の月日が過ぎてしまいました。
結論を急ぎましょう。

●8-2 悪魔の地球期は、近々終わる
悪魔の地球期は、近々終わるでしょう。
数千年の虚像の歴史も99%は真で現実ですから、一からやり直すことは出来ません。
1%の修正は、私の言い訳がましい言説のように大変な勇気と犠牲が伴うでしょう。

世界のみんなは、心の底、無意識に分かって、いるのですが、一歩が踏み出せないのでしょう。
そのことを、私はマヤの終末や、次元上昇による救済:アセッションと言った1%の嘘は止めた方が良いと思っています。
1%の嘘に気付くだけで、世界が転換するのです。
私の言い回しが、皆さんを脅すようなものでないことを願うものです。

ある都会の繁華街で、古い例ですが、ミニスカートやパンタロンが流行する変化点は、3%、百人の若き女性のうち3人がミニスカートを着ていると、大流行が始まるそうです。
3%の人が1%の嘘に挑戦すると、大変化するのです。
ただし、この社会心理学を良く分かっており、実践しているのが、龍体の子分であるマスメデイアおよび電ツであることは、認めなくてはいけません。
これを超えるのが、真面目で真っ当な99%の中から3%の勇気ある人々が、本当の高貴なる責務:ノベリス・オブリュージュであって、彼らは我欲はなく、縄文の自然とともに生きる彼我を超え、石神と共に活きる、シリコン融合化文明を体現した人々、それを大げさに新人類と呼称しても何ら問題はないでしょう。

●8-3 次元上昇アセッションの別解釈
ヒッグス粒子の証明に、何兆円もの研究費を投ずるのは、御用学者のママゴトでは済まされない、人類史の進むべき方向性の悲劇的な間違いではないかと思っているのです。

しつこいようですが、真面目な科学者に大変失礼なことを言っております、何故宇宙の生命体は、初発より炭素系だけと決めつけているのか、科学、論理、哲学的根拠について、いつから、科学が全能の神の位置を得たのか、科学的に証明して欲しいのです。
証明しろと言う科学者の詭弁と同じ穴のムジナになることは、避ける方が賢明でしょう。

次元について、逆説的ではありますが、上昇ではなく、次元の階段を下りる決断もあり得る、目の前の壁か崖を乗り越える秘策ではないかと考えます。
二次元的意志・意識・魂を発想出来るのではないでしょうか。
この着想は、珪素系生命体シリコンの特性が平等と共時性を基礎においているのは、宇宙が果てしない一枚の平面にあり得ることを示唆しているのではないかと思うからです。

三次元を述べてきましたが、四次元については、時間に言及しなければなりません。
私は時間とは、アインシュタインの理論、光と時空、エネルギーの同一を超えて、珪素系生命体を含めた全宇宙の生命体が発する意識、意志、思いに根拠する現象であると考えているのです。
宇宙に11次元があることを、太陽系、地球、人類の当面にあたって意味がないと先に述べました。

ブラックホールでの、非空間、非時間性や、ダークマターでの超空間性、超時間性について、我々炭素系生命体では、認識できないと考えているのです。

その新たな世界観は、珪素系生命体、岩石人間や泥人間を認め、融合して初めて、知り得ることではないのか。
これを今日的に言い換えれば、UFO・異星人?の超技術調査:リバース・エンジニアリングにおいて既に実現化している軍事・世界支配の秘匿領域のようです。
この領域を、なぜ:why、秘匿するのかの根拠が、地球期の終わりと共に失われる時が目前ではないか。
なにもこれは、千数百年前には、日本でも、欧米、アジア、アフリカ等世界の人々は、当たり前に知っていたことと思っています。

アミニズムは、生物・無機物を問わない全てのものの中に霊魂が宿っているという概念ですが、再興アミニズムに革新できます。
それは始原ホワイト・イルミナティの今日的再評価と新文明の理念・社会基盤技術を通して、千数百年の地球期の宗教と科学の支配が極点限界を越えるまで、待たなければならなかったようです。

プラトンのコーラが示す、風土・場が生命を育む文明文化は、どうも我が日本が最も色濃く継承しているようです。

珪素系生命体情報によれば、ヤマタイコク言葉を未だに話している、真の日本人が、地球期を終わらせる仕事を担わなければならないようです。
まあ、偽日本人があまりにも多く、今を支配しておりますが、気にせず行きましょう。

あと一歩、我々人類、炭素系生命体と全ての魂ある生命体は、まったく身近で慣れ親しんできたものに、宇宙の始源、大元も在ることに気付けば、世界・宇宙が変わるのではないかと、明日の健やかな幸福を祈る者です。

共生共死への試案(その三)

共生共死への試案(その三)

 シビックジャーナリスト倶楽部の皆さん、こんにちはroqmです。

Zipang 地域と地域を結ぶ情報サイト ジパング コミュニティ サービス
http://www.zipangweb.jp/

 死生観について事例に挙げた四項目のうち、生死の誕生側です。
 死を科学的に証明するより、生誕の証明の方が、これからお伝えする事例のように可能性が高いように思っています。
 「共生共死への試案」の目的は、次の補足を含めつつ、
 ●地域の自然すべての『共生共死』
 ●死とは恐れるべき無ではなく、生きているものと共に受け入れる『共生共死』
 現下の明るい希望を持ち得ない重苦しさを吹き飛ばすためには、生き抜く発想の根源を再発見することや、新たな基準を創り出すことが必要です。それはWEBによって小さくなった地球の現実を否定せず、生活共同体を地域コミュニティとして再構築することによって実現できるのではないかと思うのです。
 この根源的な視点は、利子を生じて一人歩きする貨幣、言い換えれば、人々を助けるためのロボットが勝手に人類を支配することや、投票による選挙で確定される民主主義の即応性の欠如、グローバルブランドと地産地消の対比に見られる何のための生産なのか、今日的な流通経費と販売促進費の肥大化は本当に必要なのか等、もろもろの現代的常識を再検討する必要を実感させます。
 これらの諸課題のなかで、私は死への恐怖、絶対無か生か、と言った近代科学至上主義を修正するべきではないかと考えるのです。従前の宗教領域から外れた科学的手法のアプローチが要ります。
 科学的手法の必要性とは、民話、民俗学、宗教儀礼と葬儀業界等を幅広く含めた産業としての創設につながります。地域コミュニティの元気再生が目的なのですから、死という絶対無での思考停止状態では希望の種にも生活の糧にもなりません。死者への冒涜や自殺の勧めではありません。生き残るものたちが死者への尊崇と共に、生への励ましを実感できるような新しい生活の仕組み、所作を創り出し経済活動としての産業化するのです。この産業が葬儀業界等と異なるのは、宗教儀礼に捕らわれない、日常的互助カウンセリング・サービス的なものとなると考えます。
 誤解を招かないように補足しますと、新興宗教とかニューエイジ運動とは、全く異質な提案です。なぜなら科学的例証にて認証された知識知見を実生活に役立たせようとするものです。
 事例を挙げる前に、おことわりしておきますが、「ルドルフ・シュタイナーの精神科学から見た死後の生」は、紹介解説が長くなります。それと約1世紀前のこの著作は、今日一般的にはオカルトと見なされております。従って、地域コミュニティの元気再生の目的にそった編集が出来たら掲示するつもりです。ただし、今回の事例の中で当資料を引用している部分があります。

 さて、具体的事例を挙げながら進めましょう。

■胎内記憶 を持つ子供らが医学調査によるとナント33%もいた■
 =医学調査
 参照HP 「胎内記憶・受胎前記憶について考えるページです」
http://blog.livedoor.jp/tainaikioku/archives/19524636.html

 胎内記憶とは、母親の胎内にいた時や出産時の事を、赤ちゃんや子供(乳幼児)が記憶しているということ。胎内から外が見えた、胎内に入る前の記憶(受胎前記憶)があるなど、説明しにくい記憶がある。
 参照事例でも、現況の医学、発達心理学の通念に配慮して、控えめな記述です。
 このように前向きな研究者を高く評価したいのですが、医学、発達心理学の枠内での取り組みに限界があることは明白でしょう。
 あらかじめことわっておきますが、科学的な努力をされている方々は、私のような門外漢が神秘領域に関連づけるようなことは、大変な迷惑なことでしょう。
 しかし、今日のような終末の予感による重苦しさに捕らわれた方々には、共感していただけると思うのですが、もうあまり残された時間がないとも言えます。この時間とは、地上も含めた壮大な宇宙時間をも意味していると考えています。従って、あと2年なのか、10年なのかは分かりませんが、今まさに本質的「ま真」な取り組みをすべきと思っています。
 私見ですが、社会心理学の1分野で、1930年代にクルト・レヴィンによって創始されたグループ・ダイナミックスgroup dynamicsがあります。
 この手法でアプローチすれば、科学的な地位を比較的確定しやすいと想定しております。
 グループ・ダイナミックスを極めて端的に表現すれば、集団内の関係性を一対一の関係に微分し、有無を数学的0or1、イエスかノウで構成し説明すると理解しています。
 これは、極めて電算西洋的と言えますが、陰陽道的アプローチもそれほど捨てたものでないとの直感です。
 既成概念と既得権益から抜け出せない既往学会から、新たな知見は生じないでしょう。
 医学調査で、信頼し得る例証が33%もあるならば、別の母集団でも同様の結果が証明できるにもかかわらず、非科学的な社会的位置付けは、空しいとしか言えません。
 西洋科学的手法のグループ・ダイナミックスを取り上げたのですが、グローバルネット社会で説得力を持つためには、近道です。
 それと、この胎内記憶はテレビで放映されました。
 出産前後の女性にとって、科学だろうがオカルトであろうが母となるべき人々の重大な関心事なのです。
 適切な科学的手法を選択し、かつ社会的有益性を換金計量化(これを言うのは本当に辛いのですが)・精神的ストレス低減効果を明確にする必要があります。
 さらに、母子の健やかな生活様式の担保技術を確立することで、私の嫌いなバイオ産業よりましな産業を創出すべきです。
 大変偉そうなことを言っておりますが、私は医学的知見を持っておりません。
 ただし、死生観の見地からバカ正直な直感を大上段に振りかざし、必要性を感じているのです。
 これらに関係する専門家達は、受胎前記憶・胎内記憶と言う生命誕生の仕組みについて、社会的智恵の推進を急がねば、2・3年後には「三つ子の魂百まで」の因果が回ってきます。
 確かに、既に手遅れかもしれません。
 我が国や世界の青少年がニヒリズムにおちいり、集団的崩壊パニックが近いかもしれません。
 しかし、私の直感的対処が一部でも、若いお母さんやお父さんへ、その心魂を伝えることが出来たなら、劇的変換の萌芽が生じると信じています。

 この件について、ルドルフ・シュタイナーは、資料要約引用
●誕生の時点へ戻る自我とアストラル体53p-にて。
 『受精・受胎をとおして心魂と精神が地上の身体のなかへと下ってくるまで滞在していた世界に、私たちは戻るのです。睡眠中、私たちは現時点にとどまるのではありません。自我(個我)とアストラル体(感受体・想念体)は時間を遡って、誕生の時点に戻っています。』
●受肉91p-にて。
 『人間は物質体(肉体)の霊的な萌芽を地上に下らせて、みずからは心魂、自我(個我)、アストラル体(感受体・想念体)として精神界にとどまったあと、宇宙エ-テルからエ-テル実質を集め、自分のエ-テル体(生命体)を形成します。そのようにして形成したエ-テル体を携えて、受胎の約三週間後に、霊的な萌芽に従って形成された身体の萌芽と結び付きます。』

 これらの人智学的示唆を、科学的計量統計学を用いた例証を体系化するならば、3歳までぐらいの幼児が前世や宇宙知識=アカシャ年代記Akashic Recordsの知識、さらに何故その両親より誕生したかなど、すばらしく度肝を抜く世界を語る宝庫であることが判明します。
 話は飛びますが、柴犬、秋田犬、土佐犬などの和犬の遺伝子は、縄文時代から変化していないそうです。私たち日本人は、動物を玩具のように姿かたちを変えようとはしなかったのです。山川草木に八百神の神を感じ、共に生きてきたのです。
 西洋犬の品種改良、遺伝子組み換えの白人が発想するバイオ産業に未来はないと、私は独断します。
 幼子の地上に携えてきた智恵を、生活環境を変えるデータベースとしての構築に、お金を稼ぎたい企業ならば投資するべきです。しかし、幼子達の智恵は、お金について本当の豊かさの拠り所:カレンシーの在り方も明解に指し示すことでしょう。

 この事例より、地域コミュニティの元気再生がどのように結びつくのかは、分かりづらいかもしれません。
 誕生の仕組みは、時間・星だけでなく、空間・日本や地域と深く関わっています。と独断で語ってしまってはいけません。それは3歳までの幼児に尋ねてみれば教えてくれるはずと期待しています。

■誕生日による右脳と左脳のスイッチ■
 =認証された脳医学研究成果
 参照HP 「ヒロさん日記」誕生日という「年輪」が刻まれる瞬間に、耳を澄ます。
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1320382

 この参照HPは、誕生日で規定される人間について分かりやすく2事例を挙げています。
 初めは、私が尊敬するシュタイナー思想(人智学)による「Moon Node」です。

▼要約引用開始
 『星座のほうは無視して、「地球+太陽+月」の位置関係に着目したもので、自分が生まれた日と同じ「3天体の位置関係」は18.7年に1度めぐってくる。
 占星術にこだわる人は、さらに太陽系の各惑星の位置関係に特別な意味を見出しているはずです。
 「日本人の脳」で有名な角田忠信氏の研究によると、誕生日の午前中に、脳内に「年輪」が刻まれているのだという。
 以下、角田忠信著「右脳と左脳:脳センサーでさぐる意識下の世界」(小学館ライブラリー)の内容をごく簡単にまとめてみたい。
 この先生は、瞬間的に両耳に入る音が、右脳と左脳のどちらに振り分けられるか、という研究を長年続けている人である。
「純音とホワイトノイズ」、「母音と子音+母音」、「自分の声と他人の声」、「楽器音と音声」、「自然界のさまざまな音」などが、右と左のどちらに流れるか詳細に比較検証している。
 「日本人と脳」では、日本人とポリネシア人に限り、この左右振り分けのパターンが、他の全人類と異なるという説を発表して、話題になった。
 これは民族やDNAの問題ではなく、9才頃までに母国語として日本語かポリネシア語を使っている場合に、脳内の音処理回路が変化するという説明である。
 この左右振り分けスイッチは、とても微妙なセンサーで、さまざまな条件のもとで、通常の左右の振り分けとは逆になる「逆転現象」が起こるとされている。
 たとえば、純音を聞かせた場合、すべての言語圏の人が「右優位」(非言語を扱う右脳優位)としてこの音を振り分けるが、40の倍数の周波数(40、80、120Hz・・・)と、60の倍数の周波数(60、120、180Hz・・・)の場合は、「逆転現象」が起こる。
 また聞かせる音源の「組み合わせ数」でも同様の現象がおこり、しかもこの「組み合わせ数」は年齢と関係しているという。
 たとえば、23才の場合、この年齢の3倍と5倍の数(=69、115)の純音から「合成音」をつくると、左右反転が起こるというのだ。
 40才の人は、40×3=120種類または40×5=200種類の音を組み合わせた「合成音」を聞くと、その音を処理する脳内スイッチに異変が起こる、ということになる。
 「合成音の要素数」が大脳生理学で何を意味するのか、本を読む限りでは皆目見当がつかないが、注目すべきは、40才の人が41才になった瞬間に、「120と200」には反転反応を起こさなくなり、「123と205」に反応するようになる、という点である。
 メカニズムはさっぱりわからないが、誕生日をきっかけとして、脳のセンサーが変化するという話なのである。
 状況によって多少の誤差があるようで、著者の角田氏の場合は、58才と59才のときは「誕生日の4日前」の「朝6時から7時の間」に、60才のときは「誕生日当日」の同じ時間帯に切り替えが起こったという。海外出張が多かったため、リズムが崩れたのではないか、と疑っている。
 この変化は「天体の位置関係」からの影響というよりも、体内に1年を測る正確な「体内時計」があるのではないか、と推理できる。
▲引用おわり

 私は、角田先生の研究を、初期段階から注目してきたました。
 学術研究のためHP上では、なかなか見つけづらいのですが、上記引用以外に、誕生日前後の脳内スイッチ変更は、強いストレスや不規則な生活でやや乱れることがあるそうです。なかでも地震の発生時前には、健全で規則的生活者ほど敏感にスイッチが乱れるそうです。
 ここまで言うとオカルト扱いされるのでタブーでしょうが、オジギソウなどの地震予知・宏観現象生物のなかで人間は最高級の感受性があるとの記述を記憶しています。
 角田先生の研究を私は、ノーベル賞級の成果と考えています。
 シュタイナーのMoon Nodeは、私にとって当たり前なのですが社会通念の科学と認められていません。
 角田先生の研究は、古今東西初めて誕生日が人間の基本的生理・性格や運命の規定に一部としても、その深層に関わっていることを科学的に証明したのです。
 非科学的な拡大解釈は、先生には迷惑なことかもしれません。
 西洋占星術の生誕日運命、干支(えと)による性格規定と相性、マヤ歴文化があるメソアメリカ地方に現在でも慣習となっている、260日の1日1日をキン(kin)とし、誕生日キンの名称(男女格別)や性格がそのまま男・女子の名前になっていること等について、科学的に有意性があり、迷信と蔑む対象でないことが証明されたのです。
 我が日本人にとっての、干支による相性をバカにしてはいけません。
 かみさんや旦那様の誕生日以後に一年間の相性が変化するわけですから、ゆめゆめ連れ添いや家族の誕生日を忘れたり、お祝いをしないことは人間関係を損ないますよ。
 シュタイナー教育を実践している学校や家庭では、誕生日祝いが重要な教育行為となっています。
 単に誕生パーティを行うのではなくて、幼児や児童に応じた日記や作詞、演劇などの記録を作成させ、1年後にそれらの記念物をもとに本人や友達、父兄が成長を喜び確認しあうことが行われています。
 大人になってしまった我々には、誕生日前後に劇的性格の変化が生じると断じてはいけない生活環境が現下にあります。
 生活習慣病や神経症などを発症してしまう原因は、我々人間が本来持っている星々とのシンクロニシティ共時性や、自然が奏でる雨・風・波・せせらぎ・鳥・虫などの音を聞き分け、朝日、夕日、木洩れ日の陰影を共感する、心根が荒んでしまっているからでしょう。
 心根や心魂が荒み病みいれば、せっかくの生物最高の高感度チューナーも雑音しか拾えないでしょう。
 日々の生活に追われ、人間関係に疲れてしまうことが多い現況と思いますが、迷路ラビリンスのような大都会東京にも、心根を癒すものは大変多いと私は、友人達に語ります。
 坂道のある神楽坂に住んでいるのですが、通勤通学の通い慣れた道筋でも、ふと茶目っ気でビルの稜線や谷間の日常的には目線を向けないところを見てみろよ。恐ろしく不思議で自然豊かな小さなものが見えてくるよ。特に坂道の上り下りは、目線を少しだけ変えるだけで、メルヘン童話の世界が開けますよ。

ルドルフ・シュタイナーは、資料要約
●生じたことと生じなかったこと107p-にて。
 『だれかが五分早く出発したために、事故死を免れたとしてみましょう。そのような瞬間に、死者が私たちに伝えることがらが、夢のイメ-ジのごとく吹き込まれることがあるのです。しかし、人間は大雑把に生きています。人間は粗雑なことのみを気にかけ、人生に生じる繊細なことがらを気にかけません。精神科学をとおして、感情と感受性は繊細になります。そうすると私たちは、死者たちが自分の人生に関与するのを感じ、死者たちと関係を持つようになります。』

 この事例が地域コミュニティの元気再生とどのように結びつくのかは、前事例と関連するのですが、都会と地方に係わらず自然(=みじかな死者)が語りかけることに聞く耳を訓練することにつながります。
 誕生したということは、父母があった結果です。その誕生日に基本的な感受性が変化するわけですから、1年ごとの人生とは、如何に変化に富んだものだったのでしょう。
 すなわち元気再生に係わるものとは、日常性の中での誕生日の再認識です。ここで誤解されてはとても困るのは、自然(=みじかな死者)との語り合いに非日常というか、魔界幽界とのチャンネルを開くことではないのです。現在過去のほとんどが、この陰ともいうべきものに陥ってしまっているのでしょう。この区別は明確にしないといけません。日常性の中で明るく気軽に語り合う所作というものが過去にはあったと思っています。
 この指摘は大変重要なことと認識しております。我々人類は、この陰の方向性にしばられてきました。
 この陰が国民国家を善悪はともかく一つにまとめる働きがあったことを私は否定できません。
 しかし、今、明るく穏やかで健やかな日だまりの下で、自然(=みじかな死者)との語り合いと切に願っているのです。
 この陰陽の峻別と使い分けは、項を改めて詳述したいと思っています。みなさんに分かりやすく語れる能力が私に備わっていることを望みますが。

相変わらずの独断ですが参考になれば幸いです。

共生共死への試案(その二)

共生共死への試案(その二)

 シビックジャーナリスト倶楽部の皆さん、こんにちはroqmです。

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■■『共生共死』の意味づけ定義■■

試案(その二)の前に、『共生共死』の意味づけ定義について述べます。
当項は、(その一)の補足となります。
 『共死』で検索しますと2系統の解釈があるように見られます。
 一つには、「集団自殺」や戦時中の「軍官民の共生共死」の流れです。
 一つには、宮沢賢治作品の『なめとこ山の熊』を例とした人間と動物とが共に、生きる、食べる、食べられるの関係や、稲作に対する贖罪の稲祭りといった生き物を食べることへの共感の流れです。
 検索の中には、仏教者として共死などという言葉は使いたくないと言ったものもあります。
 これらの共生共死が意味する概念に、生活共同体の枠組みが根底にあることが伺えます。
 国家間が戦時中ならば民族単位であり、農林漁村ならば生活の糧である収穫が対象となっています。
 戦争を経験した世代にとって共死はいまだにタブーとして色濃く残っています。しかし反面戦前には、まちや村に係わらず小さな地域生活共同体での植物や動物を含めた共生共死への帰属や作法があったと考えています。
 地域コミュニティの元気再生へ向けて『共生共死』をキーワードとするには、補足する要件を挙げるべきでしょう。現段階では次の項目が挙げられます。
 ●地域の自然すべての『共生共死』
 ●死とは恐れるべき無ではなく、生きているものと共に受け入れる『共生共死』

 地域コミュニティの元気再生に何が必要なのかを考えていますと、私は『共生共死』というキーワードが浮かぶのです。
 共生共死への試案(その一)で考察のための参考事例を4項目挙げました。
 死生観の4項目は、主に●死とは恐れるべき無ではなく、生きているものと共に受け入れる『共生共死』について、学会やマスメディアが意図的に否定し、とんでもオカルトとして無視してきたのものの中で、科学的手法を通した事例を掘り起こすことを目的としています。
 その一では、『仏教の視点』チベット密教の死者の書(中有の説 バルド・トドゥル)を取り上げました。
 これは、私の父母の死にあたり、みじかな兄弟姉妹が法要の理由を詳しく知っていなかったことから、現代日本人が死者への葬儀の作法を失ってしまっていることに深い悲しみを感じたからです。
 この悲しみに直面することが、地域コミュニティの元気再生に欠かせない対応ではないかと考えるのです。
 地方も大都市も最近は、ハリウッド映画の「2012」に象徴された、重苦しい雰囲気があると述べましたが、この重苦しさは、深刻な思考停止やニヒリズムの原因となっているのです。
 この原因は、私は死に対する「恐怖」死とは何か、その知識と作法の再獲得が対策であると考えています。
 我々は、何者なのか、どこから来て、どこに行くべきなのか、この文化文明の在り方は本当に正しいのか、理性的な対処と言いましたが、私などは、死に直面した際の極白色の光のフォースの前で、ただ狼狽えるだけかもしれません。しかし、驚いているだけでは、だめでしょう。
 何かしらの突破口を見つけ、ささやかな毎日の積み重ねを行わなければ、何でもええじゃないか、自分さえ気持ちが良ければいいんだとかの自己暗示で、本当に生きていけるのでしょうか。
 私は、思春期から、ろくちゃんは、必ず突破できる、神々(?上位存在)からの愛を受け得る(自己犠牲を伴いますが)天才であると常々自己暗示を意図的にしてきました。
 友人に公言しておりますから、誠に胡散臭い自称天才そのままですが、実は、そのぐらいの自己暗示が必要で、それによって、わずかながらでも日常的理性が保てるのではないでしょうか。
 死・世界の終末と言った極大衝撃インパクトを前提におき、どのような対応策があるのかを見つけなければなりません。
 死に対する恐怖に対しての、対応策は歴史をさかのぼり、巨大な先達がサタン(神)の目を意識しつつ、行間に埋め込んだ我々へのメッセージを丹念に拾い上げ文脈として再構築する以外ないと思っています。
 この思いから、死について、密教とルドルフ・シュタイナーを例題としたのです。
 仏教について、顕教と密教の区分、釈迦そのものの教えとその後の弟子や分派闘争は、ご存じと思います。
 チベット密教の成立は、釈迦以後だいぶ時をへて、土着の宗教と融合した教義です。
 チベット密教の事例でも述べておりますが、この死後の解釈が我が日本人にとって、葬儀の形式的な慣例となっており、とっつきやすい説明になるからです。
 日本人の葬儀について、密教教義からの成り立ちを説明したとしても、我々は本当に死を恐怖しているかは疑問です。葬式に立ち会っても、死んだ本人以外は、親族であっても他人事ではないかと思ってしまうのは失礼かもしれません。
 不治の病や、癌の告知など本人の内面的恐怖に我々は対処しているのでしょうか。
 私は、日本で初めての超高級有料老人ホームを企画設計し運営に関与した経験があります。そこで、終末期看護:ターミナルケアの実態をめのあたりにして、こりやだめだ、今死にゆく人への本質的対応がない。
 現場の医者・介護士・ケアマネージャーの真摯な努力を否定するものではありませんが、医療介護葬儀といった現世的対応だけだ。
 今死にゆく人への、論理的理性的な霊魂にかかわるもの、大綱と体系がないと感じ入りました。

■■ルドルフ・シュタイナーの『人智学』■■

 チベット密教の死について、これを補足するものは、ルドルフ・シュタイナーであると前々から思っていました。シュタイナーのウィキペディアでも、端的に示されているのですが、ブラヴァツキー夫人が興した『神智学』協会とシュタイナーの『人智学』(アントロポゾフィー)協会を区別してほしいのです。確かに、シュタイナーはゲーテ研究から入ります。初期のゲーテはメーソンリーとイルミナティに属していましたが、脱会しています。シュタイナーも同じく初期は所属していますが、ブラヴァツキー夫人と袂を分かち『人智学』協会を興すのです。

参照HP イルミナティの真実
http://nvc.halsnet.com/jhattori/Zeitgeist/Illuminati.htm
▼引用
 イルミナティは、いつの時代にも存在した。
 反イルミナティの熱心なプロパガンディストが、イルミナティの起源をエジプト神秘学に、グノーシスに、あるいは新プラトニズムに求めるとき、彼らはある意味で本質をついていた。
 プラトンが“愛知者”であったように、バヴァリア・イルミナティのヴァイスハウプトが知の探究者であったように、ブッディストが“般若=智恵”を求め、グノーシスが“神の知識”を求めたように、イルミナティは、常に「知」とともにあったからである。
 そして現在、イルミナティには少なくとも2つのグループに分類できるだろう。(ただこの2つのグループの定義もネットからははっきりしなかったので私なりに解釈します(^_^;))
 すなわち、純粋な知の探究者であり哲学者でもあり、組織を作ることをあえてしない「ホワイト・イルミナティ」と絶対的な価値を現世のお金に求め、知やお金を利用して、自分たち支配者層より下の人たちを羊や奴隷のように扱い、自分たちの利益のためには、その人たちの権利や生命までも踏みにじる「ブラック・イルミナティ」がいる、ということのようです。(^_^;)
 ただこの2つのグループと言っても一方のホワイト・イルミナティは個人を主体に活動しているだけで、自然と共感し手助けする人たちが集まっているだけで、逆にその個人が教祖になるような組織を作ることを戒めています。
 一方、ブラック・イルミナティは、秘密クラブみたいな形で組織を作り、その時代、その人それぞれによってもどんどん進化し、形態も変えていくようですね。
 例えばロックフェラー財閥の中でも共和党派、民主党派が入り乱れているように、そして現在、ブラック・イルミナティを引き継いでいる人たちは「時代の精神」の映画からもロスチャイルド財閥やロックフェラー財閥などの国際財閥(国際銀行家=国際金融資本家)であることがわかります。(アインシュタインも人類最大の発明品であると認めた「複利」を操り、欲望の元のお金を作り出す人たちです:詳しくは時代の精神の映画の金融編)
 またさらに引用で恐縮ですが、ブラックな現代のイルミナティに批判的だったのが、子供の教育関係で有名なルドルフ・シュタイナー(1861-1925年:人智学運動家)です。
 イルミナティは創世記来続いている血流を中核に、サタニズム的オカルトを強化し地球上に悪魔の帝国を構築し、人類を家畜化支配しようとしており、西洋は、いわば、秘密結社の土地柄である。
 シュタイナーは、1900年代入会していた神智学協会で神智学運動のオカルティズムの関係を次のように語っている。『神智学運動は、神智学協会の中でなされている限り、オカルト運動であるとはいえません。
 オカルト運動は、神智学運動とは異なった前提を持っています。いつの時代にもオカルト結社は存在していました。』(「神殿伝説と黄金伝説」ルドルフ・シュタイナー著、国書刊行会、1997年刊、210頁)
 シュタイナーの言っているルシファーとサタン、キリストの衝動とは何か。
 シュタイナーの時代(1900年代)、限られた特別な人のみ伝えられてきた秘儀が神智学協会によって一般に公開された。フリーメーソン内で今まで参加が許されなかった女性のための講義も始まった。
 「高次の次元の初世界に至る道を見出せないで、全人類が憧れをもってそれを見上げている今日、だからこそオカルト知識の大部分が公開されなければならないのです。そしてこの使命は、神智学協会の内部のオカルティズムにあります」(同上、218~219頁)
 ブラヴァッキー夫人(1831~1891)の創設した東洋の叡智を主動とする神智学協会で、シュタイナーは、西洋の精神の荒廃に立ち向かうためにヨーロッパそのものに内在する叡智を蘇らすことを考えていた。
 シュタイナーは、「神智学協会とは結びつけず、西洋オカルティズムの本流であるフリーメーソンの伝統と結びつけることにした」「シュタイナーによれば、ミスライム王に始まるエジプトの秘儀は、実はアトランティス大陸に由来するものであり、ここから一連の長い伝統が生じた。
 そしてシュタイナーの行おうとしている新しいE・Sのメーソン的儀礼は、この最古の秘儀の継続なのである」(同上、425~426頁)。
 神智学協会が次世代の救世主を指名する段階においてインドのクリシュナムルティを推したのに対し、シュタイナーはそれに反対し退出したのには上述のような考えがあったからで、受け入れられるべきものではなかった。(のちにクリシュナムルティは人間宣言をしている) スピリチャリズムの真実を求めて
 しかし、ご存知のように、フリーメーソン兄弟団は、特定の政治的な衝動に利用されその道具になっている。シュタイナーはそのことを指摘しているためフリーメーソンの陰の側面と対決せざるを得なくなった。
 ブラヴァッキー夫人が創設した神智学運動の影響は、アリス・ベイリー他、ニューエイジ運動に引き継がれていく。
 ニューエイジ運動は、イルミナティのエージェント、キッシンジャーが作ったものだ。
 ニューエイジ運動は、土着の原始信仰を取り入れながらさらに細分化し広がっている。
 報告によると米国において、「ニューエイジ」系列の団体が一万を超えているという。そして、メシア、精神的教祖をおくところが「ルシファー」的といえる。
 その後シュタイナーは神智学を離れて、人智学(アントロポゾフィー)を作った。
 この時点で、フリーメーソンとの結びつきはなくなり、シュタイナーの社会運動になってゆく。
 シュタイナーの人智学(アントロポゾフィー)は、『人』という字を用いることから、人間が重要であり、主体になる。しかし、個人主義、エゴイストをきらう。
 オカルティズムにおいてこの地球期は悪魔の時代という。
 悪魔の時代に生まれた人間は、どうなるのだろうか。そこでシュタイナーがしていることは、オカルト神秘学が起点になっているとしても、悪魔的オカルトの力を借りていることではないことに注意しよう。
 さらに注意することは、何度も言うように、決して「ニューエイジ運動」の感性を持ちこまないことである。ニューエイジ運動は、次に来るべき時代に人間が目覚めないようイルミナティのエージェント、キッシンジャーが用意した新しい監獄である。
▲引用おわり

 参照HPのように、私はシュタイナーがホワイト・イルミナティと思って尊敬しているのです。しかし、全面的に帰依しているわけではありません。
 『シュタイナーが活動した時代は、ヒットラーがサタンの化身として受肉していました。ヒットラーの受肉以前は、ロシヤやポーランドでのポグロム(ユダヤ人虐殺)、アメリカ独立、明治維新、アメリカのアシュケナージ・ユダヤによるナチス支援、戦前の国際決済銀行BISの成立など連綿とした無視できない歴史の作為がありました。
 シュタイナー、王仁三郎に対し、ヒットラーとの霊的大戦争のさなかでの記述ですから、その時代感覚で我々は、読み解く必要があると考えます。』
 王仁三郎の霊界物語等とシュタイナーの人智学活動を私はとても重要なヒントと考えているわけです。
 相変わらずの独断です。参考になれば幸いです。

共生共死への試案(その一)

共生共死への試案(その一)

 シビックジャーナリスト倶楽部の皆さん、こんにちはroqmです。

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 地域コミュニティの元気再生に何が必要なのかを考えていますと、私は『共生共死』というキーワードが浮かぶのです。
 地方のまちづくりの仕事をしていますと、人口の1/4以上が65歳以上の高齢者です。この高齢者が、元気に社会参画していただく方策が必要となります。
 大都市の若者や60歳未満の就業者、主婦達はケータイやPCウェッブの利用率が高く、一見情報過多になっています。
 地方も大都市も最近は、ハリウッド映画の「2012」に象徴された、重苦しい雰囲気があることです。
 2009年の末に公開されたこの映画は、マヤ暦の終末である2012年の12月21日に何か天災的な地球の大変動がおこり、あたかも「人類最期の日・人類の滅亡」のような特別なことが起こる日と描かれております。
 地方の高齢者が、この映画やマヤ暦を紹介したテレビ番組を見て、承知しているかは分かりませんが、老い先短い人生をふるさとの自然と共に達観した生活を送っているのでしょうか。私は達観と云うよりは、あきらめていると考えています。
 大都市の人々は、このマヤ暦の終末を知っているのが大半ですが、毎日の生活に追われて、その日になるまで成り行き任せです。
 私は、終末予言のパニックを信じるものではありません。しかし日本や世界が異常気象の高まりのなかで、『あきらめ』が重苦しく充満していることに直面しなければならないと考えているのです。
 あきらめは、合理的思考の停止です。それは間近に恐怖と変化し、妬み嫉み、弱者への差別、ヒステリーや過剰自己防衛の暴力犯罪になります。
 死生観とは、宗教が死への手引き、哲学が生き様を語るなどが一般的となっています。
 哲学は共生を説きますが、「共死」と言及するとファシズムか宗教で非科学的とされてしまいます。
 ある説では、『人類の肉体的死をサタン(神)は、宗教で思考停止させ恐怖の対象とした。』と云っています。
 死について『あきらめ』から『恐怖』への対処法を考えてみました。
 確かに科学的手法における死後体験などの追証は、歴史的に一般化されていません。ただし、その分野において科学的手法を通した努力は多くの実績があるにもかかわらず、学会やマスメディアが意図的に否定し、とんでもオカルトとして無視してきたのです。
 死生観について、次の事例を挙げたいと思います。
●チベット密教の死者の書(中有の説 バルド・トドゥル)=仏教の視点
●ルドルフ・シュタイナーの精神科学から見た死後の生=神秘オカルトを越えた科学の視点
 参照「精神科学から見た死後の生」ルドルフ シュタイナー (著)西川 隆範 (翻訳) 定価1995円
●胎内記憶 を持つ子供らが医学調査によるとナント33%もいた=医学調査
 参照「胎内記憶・受胎前記憶について考えるページです」
http://blog.livedoor.jp/tainaikioku/archives/19524636.html
●誕生日による右脳と左脳のスイッチ=認証された脳医学研究成果
 参照「ヒロさん日記」誕生日という「年輪」が刻まれる瞬間に、耳を澄ます。
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1320382

 これらについて私は、太陽系と宇宙の星々、光・虹、音・振動周波数と人間が密接不可分に一体化しており、その具体化したものが生と死であると考えています。
 科学とか宗教とかに、こだわる時間もないでしょう。だからと言って、虚偽であってはならないでしょう。
 誠実な良心、道徳心、美しい愛と言った、個人の内面的主体性による価値の選択が求められると考えます。
 既成の基準に捕らわれず、純真無垢で幼子のようにバカ正直な直感による、自己決断とならざるを得ないでしょう。
 バカ正直な直感を誘発できる智恵のサイトが構築できたら、少人数での実施チームでの日常的行動が必要になると思っています。

 さて、死生観の事例
●チベット密教の死者の書(中有の説 バルド・トドゥル)=仏教の視点
これは、「三万年の死の教え ―チベット[死者の書]の世界―」中沢新一(角川ソフィア文庫)が定価500円が、読みやすくお勧めします。
1993年 NHKで放送された「チベット死者の書」と連動したものです。
分かりやすい参照HPは、BLOG FRY の同名ページです。
http://fry.asablo.jp/blog/2007/12/07/2479243
▼引用
 『チベットでは、「死」は、終局を意味せず、1.生命存在のバルド、2.死のバルド、3.心の本性のバルド、4.再生のバルドで構成された世界を移動する事に過ぎない。
解脱出来ない魂は、1→4の過程を繰り返し続ける。
1.死の第一段階は、呼吸の停止だが、身体の内部では気脈は保たれている。
2.やがて気脈は、頭頂部と臍部からの2つの気脈がぶつかり、バースト状態となる。
 ここで、生前、ヨーガの訓練をしておれば、パニックに陥いる事なしに、次の段階に進む事が出来る。死後も常に心を冷静に保っておかなければならない。
「バルド・トドゥル」はこの為への教えなのだ。
3.透明な光に導かれる様に意識は、死者の身体から分離していく。
4.この段階に至っても、死者は聴覚だけは生きており、老僧の言葉を聞くことが出来る。
5.1~2の過程を経ていよいよ3の心のバルドへと移っていく。
6.あらゆる意思の根源の光が現れる。同時に様々な邪念も生まれる。
 大日如来や阿弥陀如来等の光と一体化出来れば、解脱への道をたどれるが、それが出来なければ、4.の再生バルトへと移行する。ところが、これらの正しい光、死者にとっては、グリーンや白色の極めて強烈な光なので、恐怖感に先に捕らわれる。だから、正しい光を見極める為にも生前から修行が必要なのだ。
5.再生バルドでは、再び生命バルドに転生する為に幾つかの試練がある。そこで死者は、六道の内、何に生まれ変わるのかが決定される。日本の閻魔の様なヤーマ神が支配する世界だ。』
▲転記終わり。

 日本人の葬式は、仏式が多いと思いますが、この本を読むと、初七日、閻魔大王のお裁きを受けるという三十五日、忌中(きちゅう)である四十九日までの遺族の心得などの理由がよく分かります。
 私の父母が亡くなった際、兄弟(私は末っ子の長男)に法要の理由を知っているかと聞いたら、詳しくは知らないとのことで、みんなにこの本を配りました。
 東京の生活が長く、名古屋の父母の実家には時たま、冠婚葬祭しか帰省しませんでした。
 40歳まで夢分析をしていました。手相人相、タロット占いにおいて不遜なまでの自信を持っていました。
 手の皺もカードも道具に過ぎない位置づけなのですが、直感が異様に当たりました。
 よせばいいのに母方父方両親、更に先祖の血脈まで、本人が認識していない領域まで踏み込んで、あからまさに言及していました。
 8年ほど前、頼まれて観たのですが死相があるなど軽率に言及し、本当に一週間後に死んだと報されたときなど、己の不明を恥じました。
 観相と言うより行きつけのバーでの会話ですが、同席していた奥様にその後お会いしたとき、宿命だった感謝していると言われたのが、せめての救いでした。
 同席していた霊感の強いバーのママには、ロクちゃん軽々に死相があるなどと、本当であっても言わない方がいいよと言われました。
 話が横道に外れましたが、身近なひとの死に当たっては、最近では他者に話さないのですが、四十九日まで「初めての死を経験している縁あるみじかな方」へ、私なりにバカ正直な己の直感を信じた精神的、霊的な応援に努めています。
かと言っても何も出来なく、四十九日間共にあることを直感するだけです。
 私は、死後体験や幽体離脱、UFOを見たと言った経験はありません。

 チベット密教をお伝えしていますが、日本人の冠婚葬祭の常識的範囲の再確認です。
 密教にのめり込むことは、麻原彰晃を例にあげるまでもなく、日常性を越えた危険な領域を意識しなければなりません。
 あえてお伝えしますが、「真言立川流」と言う密教の一派があります。
 これは、毘沙門天、飯縄(高尾山薬王院ご本尊)、秋葉権現等に連なる、死を司る閻魔天(ヤマ)と性や愛欲を司る荼枳尼天(ダキニ・ダーキニー)へ至ります。
 つい戦前まで、この神仏は、国体護持、権力維持の最高秘法で機能していたと思います。戦後は、白人により意図的に排除され、かつ取り込まれ利用されています。
 私は、それで良かったと思っています。
 権力維持の最高秘法などは、人類にとって迷惑千万です。
 生・死・愛について、独り一人の誠実でバカ正直な直感に取って代わったほうが、健やかで穏やかな未来を掴めます。
 当項だけで、長くなってしまいました。
 死生観の事例の2~4は、次のメールにてお伝えしたいと思います。
 相変わらずの独断です。参考になれば幸いです。

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プロフィール

Roku Matsuno

Author:Roku Matsuno
'65 愛知県立名古屋西高等学校卒
'71 武蔵野美術大学 造形学部 建築学科 都市環境専攻 卒
建築土木造園、都市計画や地域活性化などランドスケープ・アーキテクト(国土景観建築家)です。

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