FC2ブログ

2018-12

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

共生共死への試案(その一)

共生共死への試案(その一)

 シビックジャーナリスト倶楽部の皆さん、こんにちはroqmです。

Zipang 地域と地域を結ぶ情報サイト ジパング コミュニティ サービス
http://www.zipangweb.jp/

 地域コミュニティの元気再生に何が必要なのかを考えていますと、私は『共生共死』というキーワードが浮かぶのです。
 地方のまちづくりの仕事をしていますと、人口の1/4以上が65歳以上の高齢者です。この高齢者が、元気に社会参画していただく方策が必要となります。
 大都市の若者や60歳未満の就業者、主婦達はケータイやPCウェッブの利用率が高く、一見情報過多になっています。
 地方も大都市も最近は、ハリウッド映画の「2012」に象徴された、重苦しい雰囲気があることです。
 2009年の末に公開されたこの映画は、マヤ暦の終末である2012年の12月21日に何か天災的な地球の大変動がおこり、あたかも「人類最期の日・人類の滅亡」のような特別なことが起こる日と描かれております。
 地方の高齢者が、この映画やマヤ暦を紹介したテレビ番組を見て、承知しているかは分かりませんが、老い先短い人生をふるさとの自然と共に達観した生活を送っているのでしょうか。私は達観と云うよりは、あきらめていると考えています。
 大都市の人々は、このマヤ暦の終末を知っているのが大半ですが、毎日の生活に追われて、その日になるまで成り行き任せです。
 私は、終末予言のパニックを信じるものではありません。しかし日本や世界が異常気象の高まりのなかで、『あきらめ』が重苦しく充満していることに直面しなければならないと考えているのです。
 あきらめは、合理的思考の停止です。それは間近に恐怖と変化し、妬み嫉み、弱者への差別、ヒステリーや過剰自己防衛の暴力犯罪になります。
 死生観とは、宗教が死への手引き、哲学が生き様を語るなどが一般的となっています。
 哲学は共生を説きますが、「共死」と言及するとファシズムか宗教で非科学的とされてしまいます。
 ある説では、『人類の肉体的死をサタン(神)は、宗教で思考停止させ恐怖の対象とした。』と云っています。
 死について『あきらめ』から『恐怖』への対処法を考えてみました。
 確かに科学的手法における死後体験などの追証は、歴史的に一般化されていません。ただし、その分野において科学的手法を通した努力は多くの実績があるにもかかわらず、学会やマスメディアが意図的に否定し、とんでもオカルトとして無視してきたのです。
 死生観について、次の事例を挙げたいと思います。
●チベット密教の死者の書(中有の説 バルド・トドゥル)=仏教の視点
●ルドルフ・シュタイナーの精神科学から見た死後の生=神秘オカルトを越えた科学の視点
 参照「精神科学から見た死後の生」ルドルフ シュタイナー (著)西川 隆範 (翻訳) 定価1995円
●胎内記憶 を持つ子供らが医学調査によるとナント33%もいた=医学調査
 参照「胎内記憶・受胎前記憶について考えるページです」
http://blog.livedoor.jp/tainaikioku/archives/19524636.html
●誕生日による右脳と左脳のスイッチ=認証された脳医学研究成果
 参照「ヒロさん日記」誕生日という「年輪」が刻まれる瞬間に、耳を澄ます。
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1320382

 これらについて私は、太陽系と宇宙の星々、光・虹、音・振動周波数と人間が密接不可分に一体化しており、その具体化したものが生と死であると考えています。
 科学とか宗教とかに、こだわる時間もないでしょう。だからと言って、虚偽であってはならないでしょう。
 誠実な良心、道徳心、美しい愛と言った、個人の内面的主体性による価値の選択が求められると考えます。
 既成の基準に捕らわれず、純真無垢で幼子のようにバカ正直な直感による、自己決断とならざるを得ないでしょう。
 バカ正直な直感を誘発できる智恵のサイトが構築できたら、少人数での実施チームでの日常的行動が必要になると思っています。

 さて、死生観の事例
●チベット密教の死者の書(中有の説 バルド・トドゥル)=仏教の視点
これは、「三万年の死の教え ―チベット[死者の書]の世界―」中沢新一(角川ソフィア文庫)が定価500円が、読みやすくお勧めします。
1993年 NHKで放送された「チベット死者の書」と連動したものです。
分かりやすい参照HPは、BLOG FRY の同名ページです。
http://fry.asablo.jp/blog/2007/12/07/2479243
▼引用
 『チベットでは、「死」は、終局を意味せず、1.生命存在のバルド、2.死のバルド、3.心の本性のバルド、4.再生のバルドで構成された世界を移動する事に過ぎない。
解脱出来ない魂は、1→4の過程を繰り返し続ける。
1.死の第一段階は、呼吸の停止だが、身体の内部では気脈は保たれている。
2.やがて気脈は、頭頂部と臍部からの2つの気脈がぶつかり、バースト状態となる。
 ここで、生前、ヨーガの訓練をしておれば、パニックに陥いる事なしに、次の段階に進む事が出来る。死後も常に心を冷静に保っておかなければならない。
「バルド・トドゥル」はこの為への教えなのだ。
3.透明な光に導かれる様に意識は、死者の身体から分離していく。
4.この段階に至っても、死者は聴覚だけは生きており、老僧の言葉を聞くことが出来る。
5.1~2の過程を経ていよいよ3の心のバルドへと移っていく。
6.あらゆる意思の根源の光が現れる。同時に様々な邪念も生まれる。
 大日如来や阿弥陀如来等の光と一体化出来れば、解脱への道をたどれるが、それが出来なければ、4.の再生バルトへと移行する。ところが、これらの正しい光、死者にとっては、グリーンや白色の極めて強烈な光なので、恐怖感に先に捕らわれる。だから、正しい光を見極める為にも生前から修行が必要なのだ。
5.再生バルドでは、再び生命バルドに転生する為に幾つかの試練がある。そこで死者は、六道の内、何に生まれ変わるのかが決定される。日本の閻魔の様なヤーマ神が支配する世界だ。』
▲転記終わり。

 日本人の葬式は、仏式が多いと思いますが、この本を読むと、初七日、閻魔大王のお裁きを受けるという三十五日、忌中(きちゅう)である四十九日までの遺族の心得などの理由がよく分かります。
 私の父母が亡くなった際、兄弟(私は末っ子の長男)に法要の理由を知っているかと聞いたら、詳しくは知らないとのことで、みんなにこの本を配りました。
 東京の生活が長く、名古屋の父母の実家には時たま、冠婚葬祭しか帰省しませんでした。
 40歳まで夢分析をしていました。手相人相、タロット占いにおいて不遜なまでの自信を持っていました。
 手の皺もカードも道具に過ぎない位置づけなのですが、直感が異様に当たりました。
 よせばいいのに母方父方両親、更に先祖の血脈まで、本人が認識していない領域まで踏み込んで、あからまさに言及していました。
 8年ほど前、頼まれて観たのですが死相があるなど軽率に言及し、本当に一週間後に死んだと報されたときなど、己の不明を恥じました。
 観相と言うより行きつけのバーでの会話ですが、同席していた奥様にその後お会いしたとき、宿命だった感謝していると言われたのが、せめての救いでした。
 同席していた霊感の強いバーのママには、ロクちゃん軽々に死相があるなどと、本当であっても言わない方がいいよと言われました。
 話が横道に外れましたが、身近なひとの死に当たっては、最近では他者に話さないのですが、四十九日まで「初めての死を経験している縁あるみじかな方」へ、私なりにバカ正直な己の直感を信じた精神的、霊的な応援に努めています。
かと言っても何も出来なく、四十九日間共にあることを直感するだけです。
 私は、死後体験や幽体離脱、UFOを見たと言った経験はありません。

 チベット密教をお伝えしていますが、日本人の冠婚葬祭の常識的範囲の再確認です。
 密教にのめり込むことは、麻原彰晃を例にあげるまでもなく、日常性を越えた危険な領域を意識しなければなりません。
 あえてお伝えしますが、「真言立川流」と言う密教の一派があります。
 これは、毘沙門天、飯縄(高尾山薬王院ご本尊)、秋葉権現等に連なる、死を司る閻魔天(ヤマ)と性や愛欲を司る荼枳尼天(ダキニ・ダーキニー)へ至ります。
 つい戦前まで、この神仏は、国体護持、権力維持の最高秘法で機能していたと思います。戦後は、白人により意図的に排除され、かつ取り込まれ利用されています。
 私は、それで良かったと思っています。
 権力維持の最高秘法などは、人類にとって迷惑千万です。
 生・死・愛について、独り一人の誠実でバカ正直な直感に取って代わったほうが、健やかで穏やかな未来を掴めます。
 当項だけで、長くなってしまいました。
 死生観の事例の2~4は、次のメールにてお伝えしたいと思います。
 相変わらずの独断です。参考になれば幸いです。
関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://roqm.blog84.fc2.com/tb.php/1-e85f6308
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | ホーム |  »

プロフィール

Roku Matsuno

Author:Roku Matsuno
'65 愛知県立名古屋西高等学校卒
'71 武蔵野美術大学 造形学部 建築学科 都市環境専攻 卒
建築土木造園、都市計画や地域活性化などランドスケープ・アーキテクト(国土景観建築家)です。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

共生共死試案 (6)
地域再生案 (7)
未分類 (0)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。