2018-04

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共生共死への試案(その三)

共生共死への試案(その三)

 シビックジャーナリスト倶楽部の皆さん、こんにちはroqmです。

Zipang 地域と地域を結ぶ情報サイト ジパング コミュニティ サービス
http://www.zipangweb.jp/

 死生観について事例に挙げた四項目のうち、生死の誕生側です。
 死を科学的に証明するより、生誕の証明の方が、これからお伝えする事例のように可能性が高いように思っています。
 「共生共死への試案」の目的は、次の補足を含めつつ、
 ●地域の自然すべての『共生共死』
 ●死とは恐れるべき無ではなく、生きているものと共に受け入れる『共生共死』
 現下の明るい希望を持ち得ない重苦しさを吹き飛ばすためには、生き抜く発想の根源を再発見することや、新たな基準を創り出すことが必要です。それはWEBによって小さくなった地球の現実を否定せず、生活共同体を地域コミュニティとして再構築することによって実現できるのではないかと思うのです。
 この根源的な視点は、利子を生じて一人歩きする貨幣、言い換えれば、人々を助けるためのロボットが勝手に人類を支配することや、投票による選挙で確定される民主主義の即応性の欠如、グローバルブランドと地産地消の対比に見られる何のための生産なのか、今日的な流通経費と販売促進費の肥大化は本当に必要なのか等、もろもろの現代的常識を再検討する必要を実感させます。
 これらの諸課題のなかで、私は死への恐怖、絶対無か生か、と言った近代科学至上主義を修正するべきではないかと考えるのです。従前の宗教領域から外れた科学的手法のアプローチが要ります。
 科学的手法の必要性とは、民話、民俗学、宗教儀礼と葬儀業界等を幅広く含めた産業としての創設につながります。地域コミュニティの元気再生が目的なのですから、死という絶対無での思考停止状態では希望の種にも生活の糧にもなりません。死者への冒涜や自殺の勧めではありません。生き残るものたちが死者への尊崇と共に、生への励ましを実感できるような新しい生活の仕組み、所作を創り出し経済活動としての産業化するのです。この産業が葬儀業界等と異なるのは、宗教儀礼に捕らわれない、日常的互助カウンセリング・サービス的なものとなると考えます。
 誤解を招かないように補足しますと、新興宗教とかニューエイジ運動とは、全く異質な提案です。なぜなら科学的例証にて認証された知識知見を実生活に役立たせようとするものです。
 事例を挙げる前に、おことわりしておきますが、「ルドルフ・シュタイナーの精神科学から見た死後の生」は、紹介解説が長くなります。それと約1世紀前のこの著作は、今日一般的にはオカルトと見なされております。従って、地域コミュニティの元気再生の目的にそった編集が出来たら掲示するつもりです。ただし、今回の事例の中で当資料を引用している部分があります。

 さて、具体的事例を挙げながら進めましょう。

■胎内記憶 を持つ子供らが医学調査によるとナント33%もいた■
 =医学調査
 参照HP 「胎内記憶・受胎前記憶について考えるページです」
http://blog.livedoor.jp/tainaikioku/archives/19524636.html

 胎内記憶とは、母親の胎内にいた時や出産時の事を、赤ちゃんや子供(乳幼児)が記憶しているということ。胎内から外が見えた、胎内に入る前の記憶(受胎前記憶)があるなど、説明しにくい記憶がある。
 参照事例でも、現況の医学、発達心理学の通念に配慮して、控えめな記述です。
 このように前向きな研究者を高く評価したいのですが、医学、発達心理学の枠内での取り組みに限界があることは明白でしょう。
 あらかじめことわっておきますが、科学的な努力をされている方々は、私のような門外漢が神秘領域に関連づけるようなことは、大変な迷惑なことでしょう。
 しかし、今日のような終末の予感による重苦しさに捕らわれた方々には、共感していただけると思うのですが、もうあまり残された時間がないとも言えます。この時間とは、地上も含めた壮大な宇宙時間をも意味していると考えています。従って、あと2年なのか、10年なのかは分かりませんが、今まさに本質的「ま真」な取り組みをすべきと思っています。
 私見ですが、社会心理学の1分野で、1930年代にクルト・レヴィンによって創始されたグループ・ダイナミックスgroup dynamicsがあります。
 この手法でアプローチすれば、科学的な地位を比較的確定しやすいと想定しております。
 グループ・ダイナミックスを極めて端的に表現すれば、集団内の関係性を一対一の関係に微分し、有無を数学的0or1、イエスかノウで構成し説明すると理解しています。
 これは、極めて電算西洋的と言えますが、陰陽道的アプローチもそれほど捨てたものでないとの直感です。
 既成概念と既得権益から抜け出せない既往学会から、新たな知見は生じないでしょう。
 医学調査で、信頼し得る例証が33%もあるならば、別の母集団でも同様の結果が証明できるにもかかわらず、非科学的な社会的位置付けは、空しいとしか言えません。
 西洋科学的手法のグループ・ダイナミックスを取り上げたのですが、グローバルネット社会で説得力を持つためには、近道です。
 それと、この胎内記憶はテレビで放映されました。
 出産前後の女性にとって、科学だろうがオカルトであろうが母となるべき人々の重大な関心事なのです。
 適切な科学的手法を選択し、かつ社会的有益性を換金計量化(これを言うのは本当に辛いのですが)・精神的ストレス低減効果を明確にする必要があります。
 さらに、母子の健やかな生活様式の担保技術を確立することで、私の嫌いなバイオ産業よりましな産業を創出すべきです。
 大変偉そうなことを言っておりますが、私は医学的知見を持っておりません。
 ただし、死生観の見地からバカ正直な直感を大上段に振りかざし、必要性を感じているのです。
 これらに関係する専門家達は、受胎前記憶・胎内記憶と言う生命誕生の仕組みについて、社会的智恵の推進を急がねば、2・3年後には「三つ子の魂百まで」の因果が回ってきます。
 確かに、既に手遅れかもしれません。
 我が国や世界の青少年がニヒリズムにおちいり、集団的崩壊パニックが近いかもしれません。
 しかし、私の直感的対処が一部でも、若いお母さんやお父さんへ、その心魂を伝えることが出来たなら、劇的変換の萌芽が生じると信じています。

 この件について、ルドルフ・シュタイナーは、資料要約引用
●誕生の時点へ戻る自我とアストラル体53p-にて。
 『受精・受胎をとおして心魂と精神が地上の身体のなかへと下ってくるまで滞在していた世界に、私たちは戻るのです。睡眠中、私たちは現時点にとどまるのではありません。自我(個我)とアストラル体(感受体・想念体)は時間を遡って、誕生の時点に戻っています。』
●受肉91p-にて。
 『人間は物質体(肉体)の霊的な萌芽を地上に下らせて、みずからは心魂、自我(個我)、アストラル体(感受体・想念体)として精神界にとどまったあと、宇宙エ-テルからエ-テル実質を集め、自分のエ-テル体(生命体)を形成します。そのようにして形成したエ-テル体を携えて、受胎の約三週間後に、霊的な萌芽に従って形成された身体の萌芽と結び付きます。』

 これらの人智学的示唆を、科学的計量統計学を用いた例証を体系化するならば、3歳までぐらいの幼児が前世や宇宙知識=アカシャ年代記Akashic Recordsの知識、さらに何故その両親より誕生したかなど、すばらしく度肝を抜く世界を語る宝庫であることが判明します。
 話は飛びますが、柴犬、秋田犬、土佐犬などの和犬の遺伝子は、縄文時代から変化していないそうです。私たち日本人は、動物を玩具のように姿かたちを変えようとはしなかったのです。山川草木に八百神の神を感じ、共に生きてきたのです。
 西洋犬の品種改良、遺伝子組み換えの白人が発想するバイオ産業に未来はないと、私は独断します。
 幼子の地上に携えてきた智恵を、生活環境を変えるデータベースとしての構築に、お金を稼ぎたい企業ならば投資するべきです。しかし、幼子達の智恵は、お金について本当の豊かさの拠り所:カレンシーの在り方も明解に指し示すことでしょう。

 この事例より、地域コミュニティの元気再生がどのように結びつくのかは、分かりづらいかもしれません。
 誕生の仕組みは、時間・星だけでなく、空間・日本や地域と深く関わっています。と独断で語ってしまってはいけません。それは3歳までの幼児に尋ねてみれば教えてくれるはずと期待しています。

■誕生日による右脳と左脳のスイッチ■
 =認証された脳医学研究成果
 参照HP 「ヒロさん日記」誕生日という「年輪」が刻まれる瞬間に、耳を澄ます。
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1320382

 この参照HPは、誕生日で規定される人間について分かりやすく2事例を挙げています。
 初めは、私が尊敬するシュタイナー思想(人智学)による「Moon Node」です。

▼要約引用開始
 『星座のほうは無視して、「地球+太陽+月」の位置関係に着目したもので、自分が生まれた日と同じ「3天体の位置関係」は18.7年に1度めぐってくる。
 占星術にこだわる人は、さらに太陽系の各惑星の位置関係に特別な意味を見出しているはずです。
 「日本人の脳」で有名な角田忠信氏の研究によると、誕生日の午前中に、脳内に「年輪」が刻まれているのだという。
 以下、角田忠信著「右脳と左脳:脳センサーでさぐる意識下の世界」(小学館ライブラリー)の内容をごく簡単にまとめてみたい。
 この先生は、瞬間的に両耳に入る音が、右脳と左脳のどちらに振り分けられるか、という研究を長年続けている人である。
「純音とホワイトノイズ」、「母音と子音+母音」、「自分の声と他人の声」、「楽器音と音声」、「自然界のさまざまな音」などが、右と左のどちらに流れるか詳細に比較検証している。
 「日本人と脳」では、日本人とポリネシア人に限り、この左右振り分けのパターンが、他の全人類と異なるという説を発表して、話題になった。
 これは民族やDNAの問題ではなく、9才頃までに母国語として日本語かポリネシア語を使っている場合に、脳内の音処理回路が変化するという説明である。
 この左右振り分けスイッチは、とても微妙なセンサーで、さまざまな条件のもとで、通常の左右の振り分けとは逆になる「逆転現象」が起こるとされている。
 たとえば、純音を聞かせた場合、すべての言語圏の人が「右優位」(非言語を扱う右脳優位)としてこの音を振り分けるが、40の倍数の周波数(40、80、120Hz・・・)と、60の倍数の周波数(60、120、180Hz・・・)の場合は、「逆転現象」が起こる。
 また聞かせる音源の「組み合わせ数」でも同様の現象がおこり、しかもこの「組み合わせ数」は年齢と関係しているという。
 たとえば、23才の場合、この年齢の3倍と5倍の数(=69、115)の純音から「合成音」をつくると、左右反転が起こるというのだ。
 40才の人は、40×3=120種類または40×5=200種類の音を組み合わせた「合成音」を聞くと、その音を処理する脳内スイッチに異変が起こる、ということになる。
 「合成音の要素数」が大脳生理学で何を意味するのか、本を読む限りでは皆目見当がつかないが、注目すべきは、40才の人が41才になった瞬間に、「120と200」には反転反応を起こさなくなり、「123と205」に反応するようになる、という点である。
 メカニズムはさっぱりわからないが、誕生日をきっかけとして、脳のセンサーが変化するという話なのである。
 状況によって多少の誤差があるようで、著者の角田氏の場合は、58才と59才のときは「誕生日の4日前」の「朝6時から7時の間」に、60才のときは「誕生日当日」の同じ時間帯に切り替えが起こったという。海外出張が多かったため、リズムが崩れたのではないか、と疑っている。
 この変化は「天体の位置関係」からの影響というよりも、体内に1年を測る正確な「体内時計」があるのではないか、と推理できる。
▲引用おわり

 私は、角田先生の研究を、初期段階から注目してきたました。
 学術研究のためHP上では、なかなか見つけづらいのですが、上記引用以外に、誕生日前後の脳内スイッチ変更は、強いストレスや不規則な生活でやや乱れることがあるそうです。なかでも地震の発生時前には、健全で規則的生活者ほど敏感にスイッチが乱れるそうです。
 ここまで言うとオカルト扱いされるのでタブーでしょうが、オジギソウなどの地震予知・宏観現象生物のなかで人間は最高級の感受性があるとの記述を記憶しています。
 角田先生の研究を私は、ノーベル賞級の成果と考えています。
 シュタイナーのMoon Nodeは、私にとって当たり前なのですが社会通念の科学と認められていません。
 角田先生の研究は、古今東西初めて誕生日が人間の基本的生理・性格や運命の規定に一部としても、その深層に関わっていることを科学的に証明したのです。
 非科学的な拡大解釈は、先生には迷惑なことかもしれません。
 西洋占星術の生誕日運命、干支(えと)による性格規定と相性、マヤ歴文化があるメソアメリカ地方に現在でも慣習となっている、260日の1日1日をキン(kin)とし、誕生日キンの名称(男女格別)や性格がそのまま男・女子の名前になっていること等について、科学的に有意性があり、迷信と蔑む対象でないことが証明されたのです。
 我が日本人にとっての、干支による相性をバカにしてはいけません。
 かみさんや旦那様の誕生日以後に一年間の相性が変化するわけですから、ゆめゆめ連れ添いや家族の誕生日を忘れたり、お祝いをしないことは人間関係を損ないますよ。
 シュタイナー教育を実践している学校や家庭では、誕生日祝いが重要な教育行為となっています。
 単に誕生パーティを行うのではなくて、幼児や児童に応じた日記や作詞、演劇などの記録を作成させ、1年後にそれらの記念物をもとに本人や友達、父兄が成長を喜び確認しあうことが行われています。
 大人になってしまった我々には、誕生日前後に劇的性格の変化が生じると断じてはいけない生活環境が現下にあります。
 生活習慣病や神経症などを発症してしまう原因は、我々人間が本来持っている星々とのシンクロニシティ共時性や、自然が奏でる雨・風・波・せせらぎ・鳥・虫などの音を聞き分け、朝日、夕日、木洩れ日の陰影を共感する、心根が荒んでしまっているからでしょう。
 心根や心魂が荒み病みいれば、せっかくの生物最高の高感度チューナーも雑音しか拾えないでしょう。
 日々の生活に追われ、人間関係に疲れてしまうことが多い現況と思いますが、迷路ラビリンスのような大都会東京にも、心根を癒すものは大変多いと私は、友人達に語ります。
 坂道のある神楽坂に住んでいるのですが、通勤通学の通い慣れた道筋でも、ふと茶目っ気でビルの稜線や谷間の日常的には目線を向けないところを見てみろよ。恐ろしく不思議で自然豊かな小さなものが見えてくるよ。特に坂道の上り下りは、目線を少しだけ変えるだけで、メルヘン童話の世界が開けますよ。

ルドルフ・シュタイナーは、資料要約
●生じたことと生じなかったこと107p-にて。
 『だれかが五分早く出発したために、事故死を免れたとしてみましょう。そのような瞬間に、死者が私たちに伝えることがらが、夢のイメ-ジのごとく吹き込まれることがあるのです。しかし、人間は大雑把に生きています。人間は粗雑なことのみを気にかけ、人生に生じる繊細なことがらを気にかけません。精神科学をとおして、感情と感受性は繊細になります。そうすると私たちは、死者たちが自分の人生に関与するのを感じ、死者たちと関係を持つようになります。』

 この事例が地域コミュニティの元気再生とどのように結びつくのかは、前事例と関連するのですが、都会と地方に係わらず自然(=みじかな死者)が語りかけることに聞く耳を訓練することにつながります。
 誕生したということは、父母があった結果です。その誕生日に基本的な感受性が変化するわけですから、1年ごとの人生とは、如何に変化に富んだものだったのでしょう。
 すなわち元気再生に係わるものとは、日常性の中での誕生日の再認識です。ここで誤解されてはとても困るのは、自然(=みじかな死者)との語り合いに非日常というか、魔界幽界とのチャンネルを開くことではないのです。現在過去のほとんどが、この陰ともいうべきものに陥ってしまっているのでしょう。この区別は明確にしないといけません。日常性の中で明るく気軽に語り合う所作というものが過去にはあったと思っています。
 この指摘は大変重要なことと認識しております。我々人類は、この陰の方向性にしばられてきました。
 この陰が国民国家を善悪はともかく一つにまとめる働きがあったことを私は否定できません。
 しかし、今、明るく穏やかで健やかな日だまりの下で、自然(=みじかな死者)との語り合いと切に願っているのです。
 この陰陽の峻別と使い分けは、項を改めて詳述したいと思っています。みなさんに分かりやすく語れる能力が私に備わっていることを望みますが。

相変わらずの独断ですが参考になれば幸いです。
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Roku Matsuno

Author:Roku Matsuno
'65 愛知県立名古屋西高等学校卒
'71 武蔵野美術大学 造形学部 建築学科 都市環境専攻 卒
建築土木造園、都市計画や地域活性化などランドスケープ・アーキテクト(国土景観建築家)です。

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